2006.10.23 【火 鉢】

唐突ながら「火鉢」を買おうと思う。
IHクッキングヒーターなどと、鈴木京香が電力会社のCMをしている昨今だが、やっぱり人間は“火”だ。

もともと人間は火と共に発展してきた訳で、僕もたき火やバーベQの炭、薪ストーブをぼーっと見ているのが好きである。
今はタバコは吸わないが、それも本当はそういった本能からかもしれない。

僕のようにマンション住まいだと、料理する時にガスからの炎を見るくらいで(それでもあへてIHにしてないのは、わずかでもこの炎を見るためで、決してケチったわけではない)、また暖炉がるような高級マンションではないので、やはりじっくり炎を眺める機会が少ない。

でもなんとかして小さい赤外線でも眺めていられないか。
七輪では扱いが大変だし、囲炉裏も考えたが、マンションでは難しそうだし。。。

そこで火鉢の登場だ。

火鉢といえば、陶器か木製の角火鉢に別れる。
どうせなら、そこは清水の次郎長親分みたいな“木製箱形引き出し付”というのでいきたい。
さあ、見つけるぞ、カッコのいいやつ。

 

2006.10.15 【背の低い車】

僕は背の低い車が好きだ。
それは格好だけでなく、視線が上の方というのはどうも好きになれない。
だからミニバンやRV車と言われる車なんてものにはまったく興味がないし、特に最近のスポーツカー、例えばスカイラインなんかが車高が高い傾向にあるのには、不満だった。
室内空間を広くするのはいいのだが、やはり地をはくようなのが昔のスポーツカー、閉所恐怖症になるほど、徹底的に低い方がいい。
そんな中、低い車の代表なのが、ロータス・ヨーロッパである。

通勤途中にある外車屋さんの何台も並べられているロータス・ヨーロッパが、いつも気になっていた。
先日おそるおそる入ってみた。
数台並べられているが値段がついてない。店の人に尋ねると、並んであるものは、およそ300万円程度だろうということ。
値段が曖昧なのは、力の入れ方、つまり整備の仕方によるという。なにせ30年前のスポーツカーなので、今の新車とは価格はいっしょでも、車に対する接し方、考え方を変えなくてはいけない。

さらに店の人はいう。
車は所詮、耐久消費財。それをどう考えるかは人次第であって、同じ300万払って新車を買って、カーナビもついているような安心した車に乗るか、古くていつ壊れるか分からない気に入った夢の古いスポーツカーに乗るか。

僕は思った。同じ300万ならもっと選択肢がある。300万であれば程度の良いBenzのSLくらいも買える。
とりあえずロータス・ヨーロッパはやめた。
そんなたいして好きってほどでもないし。。。

 

2006.9.29 【湯 船】

僕は日本語の中で良い言葉(単語)もあるが、なんとも納得できない言葉が多々ある。
僕の亡き父は、国語学者でもないのに(本当は学者になりたかったそうだが)、間違った言葉や漢字は使うべきではないと、独自の解釈で漢字をアレンジして使っていた。
その社会的な波及効果がどれだけあったかわからないが、その言葉に対するwizard な精神を僕は少なからず受けついでいる。

さて、僕が感じる納得がいかない言葉に「湯船」がある。
所詮お風呂のバスタブのことなのだが、これにあへて声を高く文句を言いたい。
なぜ湯の“船”なのか!

少しフランス語を学んだせいで、女性名詞、男性名詞には敏感である。
フランス語の場合、単語や物事に対して女性か男性かというのが感覚的に捉えられる。
よくあるフランス語の例で、海は女性で、船は男性。
それは[海という媒体は母、その中に浮かぶのは男]という考えからだ。

しかしこの場合の日本語の湯船はどうだろう。
そもそもそれが男だろうと女だろうと、水という媒介に浮かぶのが船であるのに、湯船そのもの自体に水が入っている。
それは船というカテゴライズが最初から逆転している訳ではないか。
これでは男にも女にもたとえようがない。
残るのはオカマくらいだ。
ちょっと待て、あっ、そうか! 風呂釜はオカマか!

でも「湯船」というのはやっぱりおかしい。
水に浸かりながらの船は、やっぱり転覆している。

 

2006.9.22 【重い】

久々の更新である。
あまり書いていないと誰も見てくれないので、やっと秋になったことだし、、少しずつアップしていこう、、、いきます。

さてイチロー選手が6年連続200本安打を達成した。
ものすごい記録なのだが、野球には記録が沢山あって、いつも記録探しをしているようだ。
が、まあそれはいいとして、その時のイチローのインタビューをきくと、
「いやあ、重かったですね。・・・・正直いっぱいいっぱいですよ」
いつもクールなイチローだが、こういう本音をきくと少し人間味が見られて嬉しい。

で、注目したのはその時の“重い”という言葉。
「重圧だった」という意味であろうが、普段日本語ではいきなり“重かった”と言わない。しかしheavyという英語的ニュアンスからだとすれば、それは自然な言葉だ。

普段ニュースで見ると簡単に打っているように思えるが、BSなんかでリアルタイムに見ると、結構打てなかったり、空振りしたり、見逃したり。
かなり悔しそうなというイチローを見ると、その期待の重さをいつも感じながら、敵対するチームとは別の敵と戦っているように見える。

いや、それが目立つのは、彼の属するチームが優勝の望みがなくなったからなのか。
もしかしたら今の彼の“重さ”は、望んだものではないところからかもしれない。

 

2006.8.28 【帽子の型】

僕は野球は好きだが、高校野球は専門ではない。
それでも今年の夏の甲子園は盛り上がった。
近年稀にみる熱戦。噂の「ハンカチ王子」こと早稲田実業の斉藤投手も、今や社会的話題である。

さて、そういう中、甲子園球児に気付いたことがあった。
帽子の型(かた)である。
みんな帽子にきっちり型を与えてるのである。

どんなスポーツでも“着こなし”というのがあって、野球の場合ユニフォームの膝丈の長さなどにこだわったりする。
たとえば今年からイチロー選手もストッキングを見せるようになったり(個人的にはレッドソックスのラミレス選手の着こなしが好み。ヤクルトの岩村選手がそれの影響されているように思うが。。。)

個性を出そうとするのは、高校生も野球選手も一緒である。決められた範囲でなるべくカッコよくあるべきというのが若きアスリートたちの限られたダンディズムかもしれない。

ただしかし、この帽子の型は一体どうなの?
いまだに四角く型をつけている高校球児が多いのはどうして?


鳥になって羽ばたく高校球児の夢に乾杯!。

 

2006.6.28 【あまり書かないので-WORLD CUP】

ちょっとだけ、ワールドカップ。

ワールドカップ期待して裏切られても、常に望みを託そうとする日本のけなげな国民の姿。
もう、日本はサッカーはやめればいいのに、、、と思うけど、そういうわけにはいかないのね、きっと。。。。

応援するとき、他の国よりめっぽう強いとかあればいいけど、
世界ランク18位の日本。

最初からそんなに強くないのに。
「さぞ神が舞い降りてくる」ような気分持たせといて、
(マスコミ)
ああやっぱり幻想でした。

これはちょっとした詐欺。

日が経てばまた観たりするんだろうね、
忘れやすい日本国民。

 

2006.5.19 【横を見る日本】

僕は日本に住んでいて、日本の好きなところもあるが、ひどく嫌いなところもあって、嫌いなところはなるべくそれに反抗して生きている。たまに迫害や苦労もあるが、それら含めて僕の愛国心だと思っている。

ということで今日の批判の対象は“横を見る日本”。
例えばなぜ一斉に同じ時間にニュースをやるのか。
夜10時以降は別であっても、6時台は全て同じニュース。
最初にトップニュース。同じ時間頃に特集(ラーメンとか食べ放題の話題)、そして同じ時間にスポーツニュース。
もっとずらせよ!
(さまーず・三村風)

みんな違う時間にやればいいのに、同じような話題を同じ時間にやって、横を見ながら番組制作している。
どうも日本にはこういう「横並び」というのが好きらしい。

これは日本人の陥りやすい現象である。
他人の行動を伺いながら自分の進み方を考える。
一見賢いようで2次的手段ゆえオリジナリティがない。とても卑怯な手段ともいえる。

いつも隣や他人、外的な流れを意識するから、おのずと創造性も萎縮されたもの、勇気もなくなり、その領域でしか仕事が出来なくなってしまう。
まったく閉ざされたクリエイティヴィティ、この6時台の番組たちそのど真ん中にある。
一体何年続けているんだろう。

そう、野球放送を「巨人戦」ばかりたよっている形もしかり。
今の世の中、こういったメディアの中身、コンテンツを刺激しなきゃいけない時代だと思うよ、本当に。

 

2006.5.14 【ロリコン趣味】

テリー伊藤が「日本人はロリコンなんだよ」と言っていた。
フィギュアスケートの荒川静香選手が海外ではクールビューティと言われとても評価されるのに対し、日本人では、むしろ彼女以外の小娘たちに興味が向いていたことへの意見だった。

日本人がロリコンと言い切れるのかどうかは分からないが、『子供顔』が好きなのは確かである。
僕の世代では、ちょうどアイドルと言われるものが真っ盛り。
未成熟な
風貌の人が人気があったようだった。
「何であんな子供っぽい顔がうけるの?」
当時10代だった僕は、こういった現象が不思議だった。

去年から話題にもなった秋葉原でのメイドと言われる、いわゆる「もえ〜〜」というのも、おそらくこの傾向の中にある。
アニメなどが深く関与していそうだが、原因は、日本の民族性、心理学的、教育的な深いところになってきて、、、
ん〜〜・・・面倒くさいので分析はよしておく。

ただ、この子供顔の趣味の傾向にはムラカミ氏が海外で評価されたような『オタク』的なところと結びつくところもあって、軽蔑されるところもあれば、救われるところもありそうだ。
どっちにしろ今となっては現代の日本人の大きな特徴でもある。

はっきりいって僕はそういった趣味がない。(大人顔がすきである)
どうも僕はこういった感性に崇高さ、気高き精神が見つからないのである。

 


2006.4.7 【なにやってんだよ、アホ、ボケ、カス!】

恥ずかしながら、昨日のプロ野球「ヤクルトvs巨人」を観ていて、思わず発してしまった。ちょうど木田が小久保にホームランを打たれた時だった。
なにやってんだよ、アホ、ボケ、カス!

実はこれを発したことに、どうも意味があるように感じられたのだ。
もしかしていいプレーだけを観ることだけじゃなく、悪いプレーを観ること、愚かな事に直面し、罵倒することによって、何か役にたつことがあるのではないか、と。

まったく別な話をする。
子供が涙を流すのは、とてもストレス発散になるらしい。もともと“泣く”という行為が人間の健康にとても良いことらしい。
そもそも“泣く”ということがそもそもプラスの要因ではないはずで、悲しいこと、悔しいこと、これらはできることならない方がいいというのが前提だ。

ところが、マイナスの要因である“泣く”行為を見つけにいく作業、泣きたい映画を観たい時も人間にはある。それによって涙を流してすっきりするという作用があるのだ。

そしてこの場合、スポーツを観る時、すばらしいプレイを観たい、勝って欲しいというのは表向きの目標であって、実は悪いプレーや悔しさ、悲しさを含めて感じるというのが、本来スポーツ観戦の『愉しみ』と思ったのである。

ファインプレーやホームランを期待することだけが、愉しみではない。
自虐的に思われるひいきチームやひいき選手への罵倒も、おそらく何かの消化の対象であって、それも快楽であると思えるのである。

 

2006.3.30 【アートと話す アートを話す/東京オペラシティ・アートギャラリー】

この日曜日、「アートと話す アートを話す」が最終日ということで、オペラシティまで観にいった。
バウハウスから現代のものまで、ダイムラー・クライスラーの所蔵品。

バウハウスと言えば最近のベルリン・東京展でも紹介しているが、美術史の中では有名なドイツの学校、というより研究機関だ。今では家具の方が有名で、しかも著作権が切れる時期で、ネットでもマルセル・ブロイヤーなどの椅子が安くなって、なおさら身近になっているかもしれない。

まず受付で解りやすそうなテキストを受け取る。
実際解りやすいかどうかわからないが、日本の教育の手薄な20世紀の美術をこんな形で努力しなくてはいけないことが、英語教育や前の戦争を曖昧にしている社会の教科書同様、かなり問題があると改めて感じる。

気になるのは、最近の現代美術の企画展には必ずある映像作品のブースである。絵画や彫刻だけでなく、映像も大事な芸術の範疇ではあるが、美術館で数十分の映像を全て観りきるというのは至難の業である。それも退屈な身体運動だけだとなおしんどい。

と思いながら、わかったふりしながら、映像を観る。観ましたよ、我慢して。

シルヴィ・フルーリーの映像。
女の人が昔のスポーツ・カーを磨いていたり、ただ修理の機械を上下させてるばっかりだったり。まあ思わせぶりな作品。

ただこれまでの他のヴィデオ作品と違うのは、女性が美人であること。
こういったビデオ作品の場合、たいてい純度を出すために、特別な女優を使ったり、従来の映画・テレビ的な演出法は切り離すの通例だ。しかしここにある映像は通念的な美しい女性とカッコイイ車。しかもベンツ。端的に言って“俗”っぽい。

いや考えてみるとこういった“俗さ”が、現代なのかもしれない。
現代の美術を語る上で、“オタク”∈“俗”という要素は重要だし、我々テレビ世代の現代作家はこの“俗”っぽさから切り離す方がむしろ不自然かもしれない。

というふかよみをしていると、おっと、大事なことを忘れていた。
これはダイムラー・クライスラー(ベンツ)のコレクションであった。

 

2006.3.28 【凱 旋】

最近凱旋という言葉をよく耳にする。
昨日行われた荒川選手の地元仙台での凱旋パレード。
MLBでチャンピオンになっると凱旋帰国。

スポーツという世界は解りやすく、選手権の“権”や“cup”“冠”といった優劣の最高を決めようとするから、その栄誉も大きい。よってみんなが揃って祝福する対象となる。

元々凱旋とは、【「凱」は戦勝に奏する楽。「旋」は(帰る意)戦に勝って凱歌を唱えて旋り帰ること】(広辞苑)という意味で、戦争によって勝利した時に歌でも歌いながら自慢げに闊歩するというところだ。

その目的で、その凱旋の“門”が作られ、パリの凱旋門(エトワール)など、(ナポレオンはこれを生きて通過はしなかったが)世界中に戦勝のシンボルとして大がかりなモニュメントが築かれたりするのだ。

近代では“戦い”“いくさ”というものをスポーツに託すという考え方から、スポーツで勝利した者を称える行事として凱旋パレードが行われるのかもしれない。

ところで、文化の面で凱旋というものがあるのだろうか。
例えばノーベル賞をとった人たち。その人たちがスエーデンで賞をもらった後、帰国してもあまり《凱旋》とは言われない。
文化面では、競争で成し得た業績と考えると何だか“汚れた”ような気がするから、競争心を仰ぐような捉え方ではないのかもしれない。

だから、たとえ棟方志功がベネチア・ビエンナーレでグランプリになろうと、アカデミー賞をとろうと“凱旋”と言われない気がする。
いやその前に、その分野の認知度の問題も大きいが。

さて同じ故郷である松井選手が、お正月に“凱旋帰省”する。
僕も同じ頃石川に帰る者として、本当に“凱旋”と言われるのが羨ましい。

 

2006.3.21 【日本WBC優勝】

ワールド・ベースボール・クラシック。
何でクラシックなのかよくわからないけど。。

準決勝の韓国戦に、瞬間最大が、なんと50%を越す視聴率。
明日になってみないと分からないが、今日の決勝戦のキューバ戦もかなりの視聴率だろう。

そして相も変わらず馬鹿な質問、
「最近野球人気低迷と言われますが・・・」

何度口酸っぱくして言えばいいんだ。
(別にここに書いてる限り酸っぱくはならないが)
人気あるじゃないか、この視聴率!!

巨人戦が下がってるだけでしょ!!!!
去年のロッテ戦だって視聴率上がってるし。
それをもって野球人気低迷って言い続けてるマスコミこそ、見識が大きく誤ってる。
野球は今でも最大のコンテンツなのに、それを巨人の枠組みでしか放送できない民放のクリエイティティの怠慢さをいまだに気づいてない。

とにかく優勝おめでとう。

更に続き、、、、

2006.3.22【瞬間最高視聴率56%】

関連記事

の中の「巨人視聴率の低迷のテレビ局にとって朗報」というところ。

バカいってんじゃないよ。だからといって巨人戦なんて観ないよ。

巨人戦だけで野球放送だと思っているマスコミの体質こそが間違いなのだ。

例えば、例えばだよ。
アイデアとして、まず4月頃1次リーグトーナメントによって、テレビ放映権を争奪する。それに勝ったチームは6月まで、テレビ中継がそこ中心で行われる。(セ・パ交流戦含む)
後半、オールスター後、今度はペナントレース1位チームが、放映権を得ることになり、それが中心となって放映させる。
最後にポスト・シーズンをこしらえるかはその次としても、これまでとかなり違ってくるのではないか。

渡辺恒夫が邪魔していて、 それを選手たちが言ったら「たかが選手のくせに・・・」と怒られるかもしれないが、もう少し回りがもっと出し切って、いろんな動きを見せるべきだ。

何度も言うように怠慢だ。タイマン!

 

 

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