2002.01.20 ヴーヴ・クリコ

そろそろシャンパンの話も「いい加減にしろ!」と言いたくなるだろうが,「いい加減にしたいのはこっちの方だ!」と逆ギレしたくなる。
何かしらシャンパンが気になり,どんどんその話にめざとくなって,自分でも困っている。

サッカーの中田選手はどうも“ヴーヴ・クリコ”が好きらしい。

このことをきいては黙ってはいられない性分が情けない。
「ヴーヴ・クリコ」と言えば,先日,日本の3大珍味「このわた」との取り合わせが,「ゲロみたいだった」と評したシャンパンだ。とても失礼なことを言ってしまったが,これは勿論この“取り合わせ”の問題であって,ヴーヴ・クリコ自体の質のことではない。分かっていると思うが,ヴーヴ・クリコはとても上品なシャンパーニュである。

このヴーヴ・クリコを調べてみると,創業は1772年。なるほど歴史がある。28才で未亡人となったクリコ夫人が、亡き夫のビジネスを引き継いで,シャンパンを発展させたとある。その未亡人・クリコ(未亡人→ヴーヴ)ということで,彼女の偉大な功績を称え,この名称となっているらしい。
【仏】veuf;(男性形)やもめ,veuve;(女性形)未亡人

さらに年表をみると,
1814年シャンパンがロシアで大成功
なるほど。 ここまではいい。
問題はそのあとである。
1985年「ルイ・ヴィトンと合併」
「!」
何?ルイ・ヴィトン?
ヴーヴ・クリコ が,あのブランド中のブランド,ルイ・ヴィトンとガッペイ?

そのなものと合併していたなんて。ちっとも知らなかった。
生意気にもシャンパンのことを書いていた自分の無知さに恥ずかしくなった。
確かにルイ・ヴィトンであれば,中田選手が好きだというのも納得もいく。

でもほんとにミーハーな話してるなあ,僕って。

Veuve Clicquot


2002.01.13  コウバコ蟹とシャンパン

正月にぜひやりたいことがあった。
それは実家(金沢)に帰り、コウバコ蟹とシャンパンが合うかどうかを試すこと。
試したのは、有名な「ピペール・エイドシック」
予想通り、コウバコ蟹には「エイドシック」、合った、合った。
アマチュア・ソムリエの僕は大満足である。
やはり世界13カ国の王室の御用達の「エイドシック」、加賀百万国「利家とまつ」の国のものに合わないはずがない。
(ちなみに前のランソンはイギリス皇室御用達)
知らない方の為にこの蟹のことを紹介しておくと、コウバコ蟹とは、ずわい蟹の1種で、小ぶりだが、身に中子と外子を持ち、特に甲羅の中のオレンジ色の赤い内子は、たまらなく旨い。脚だけならそこらのタラバ蟹やアラスカ産のずわいにまかしておけばいいが、このコウバコの内子は、他の蟹には類のない味わい深さがある。金沢ではコウバコ(紅函)と呼ぶが、福井県ではたしか「セイコ蟹」と言っている(間違えてなければ)。
もともと小ぶりなため、東京などはその商品価値が薄く、この流通の時代にあっても、なかなか関東では手に入らない。それでも築地でそれがあった時には、一杯¥7000という高値ときく。
金沢では、比較的庶民の味で、その7分の1前後で手に入る。僕の小さい頃からの馴染みのものだ。
以前は11月初旬の解禁から、3月あたりまで捕っていたが、今はその数の減少の為、1月末で禁漁となってしまうらしい。やはり正月あたりが最盛期ということになる。
僕はこの蟹の甲羅に、本来「熱燗」などを入れて、昔のパンシロンのCMの加藤剛みたいに(随分古いけど)、“素人くさく”飲むのが好きだ。
しかし今回は、どうしてもその甲羅の中に入れてみたいものものがあった。
やはりシャンパンのシュワシュワッとするやつだ。
「星の音」、いわゆるシャンパンをグラスに入れた時にかすかにする音をそう言うが、それをどうしても「蟹の甲羅」で試してみたかったのだ。
実際 やってみると、シュワっと音がするだけで、蟹のうすっぺらな甲羅では、当然聴こえてくるはずはない。
それでも蟹の甲羅をシャンパングラスにするなどと、発想した自分を素敵に思う。

それで、こんな感じのシャンパングラスを考えてみた。(→)
上の部分が、蟹の甲羅になっているシャンパングラス。

パクるなよ。

この後に、今度は「このわた」とヴーヴ・クリコを試したが、こちらの七尾産の「このわた」は、やっぱりこれはシャンパンには合わないようだ。素直に日本酒でやった方がいい。
まるでゲロを食っているようで、これは絶対真似しない方がいい。

 

2002.01.09 酒メモ【ランソンと黒豚のリエット】

最近シャンパンのことを何度も取り上げているのは、銘柄の幅の限度があって、つまり手中に納めやすいというところにある。
例えばミーハーだが、マリリン・モンローが愛したと言われる「ピペール・エイドシック」は、カンヌ映画祭の公式シャンパンとしても有名でもあるが、「そんな気分」になれるものでも、入手することはそんなに難しいことではない。
ワインの場合であれば、あまりに種類の数が多すぎて、同じ銘柄を探すのは大変苦労する場合が多いが、シャンパンはその数がしれてるため、普通のお店に並べられる数本のうちのどれかは、そう言った有名なものが多い。すなわちマリリン・モンローの酒もフレディ・マーキュリーの酒も、簡単にどこでも見つけられる

また品質の意味でも、限られたワイナリーでしか生産されないため、素性がはっきりしていること。
つまりブレンドが行われにくく、それによって多少高価だが、あのワインのようなひどい品質のばらつきが少ないこと。
さらに、シャンパンには本来ビールと同じ様なカジュアルさを持ち、ワインなどの繊細なものに比べ、発砲によって個性を語るのは難しいところもあるが、逆にその炭酸による強さが、食欲に対してストレートであること。
気取ったイメージが先行されるが、その実用としての魅力が十分あるというところである。

先日久しぶりに、僕の絵の飾ってある東松山市のフランス料理店「ル・コルボ・ディベール」というところに立ち寄って、ご主人の高橋さんに最近の僕のこのようなシャンパンへの思いの旨を伝えてみた。
以前から高橋さんには、その料理に向かう姿勢に、大変尊敬の思いを持っていて、「食」に関することについては、僕の身近では、一番信頼を持っている方だ。
すると僕のシャンパンのそんな思いに対し、高橋さんはとても理解を示してくれて、
「亀田さんは、酒飲みだから、きっとランソンがあってるよ」
といって、そのお薦めのシャンパン;「ランソン」と、 埼玉県花園産の黒豚の「リエット」、それに特製のパンを頂いた。
「パンにこれをちょっと乗せて、グリーンペッパーを少しかけて食べてごらん」
そう言われ、家に帰ってさっそく試した。
このパン、それだけでも本当にうまいが、それに彼の指示通り、リエット(rillettes【仏】豚、兎、鵞鳥などをその脂またはラードで柔らかく煮、身をほぐしてから再び脂の中に入れて保存したもの)を乗せ、さらにグリーンペッパーを2,3個つけて、「ランソン」で流し込む。

  

いやそれはそれは、この上ない贅沢。
もうこれだけでいい。

●高橋さんには早々にその報告をしなければいけないと思っていましたが、この場をかりてお礼申しあげます。

 

2002.01.04 フレディのシャンパン

もしかして僕は勘違いしていたのだろうか。
前に書いたクイーンの「キラークイーン」の歌詞に出てくる「モエ・エ・シャンドン」
(↓2001.12.06 フレディ・マーキュリーのシャンパン)
は、庶民である僕は、真っ先にノン・ビンテージの普及品の白ラベルを連想してしまっていた。しかし考えてみるとフレディ・マーキュリーたるもの、そんなたかが5千円たらずの普及品を飲むはずがない。
おそらくフレディ・マーキュリー氏は「モエ・エ・シャンドン」と言いながらも、もっと上のもの、つまりそのモエ・エ・シャンドン社の上級品、かの最高峰たる「ドンペリニョン」のことを指していたのではないか。 つまり、

she keeps ドン、ペリ〜ニョ〜ン
In her pretty cabinet"

という歌詞にしようとしたが、
なんだかそれだと成金臭くて露骨だし、メロディにも合わない。まして語尾の「ニョ〜ン」というところがけっこう間抜けなので、代わりにその社名である「モエ・エ・シャンドン」という社名をつかって、そこらへんのニュアンスを伝えようとした。

(いずれも紅白では許されない歌詞だが)

したがってあの1980年の金沢ライブで、「シャンパ〜ン」と言って客に振りかけたシャンパンは、僕が確かに当初予想したモエ・エ・シャンドン社ではあるが、庶民が口にする普及品の白や金のラベルのモエ・エ・シャンドンではなく、 おそらく「あの曲」の歌う前の設定条件から予想される、シャンパン界の「we are the champion」;ドン・ペリニョンであっただろうと考えるわけだ。
さらに時代からして、'78年のロゼ,又は'76年あたりの確率が高い。

ところで例のフレディのタンバリン。15万ならどうでしょう。

 

2001.12.26 CDを聴くハード

10数年前に買ったミニコンポのCDが壊れた。これまで何度となく壊れそうになり、その都度何とか命拾いしてきた。しかし今度こそダメなようだ。
言ってはなんだが、SONY製品としては長持ちしてきた方だ。むしろこれまで持ったきたのが奇跡なほどだ。このメーカーの内部の者さえそういうふうに言っている。
でも壊れたとなるとちょっと困りものだ。新しいものを買うにも、僕はボーナスもないし、競馬にも当たっていない。どうにかして他にCDを聴く方法を早急にみつけなければならない。
で、考えてみると、周りにはCDをプレイできるものは意外に沢山あった。
MacについたCD-ROM2台、外づけCD-RW1台、昔のpowerbookの外づけ用CD-ROM1台、ラジカセ1台、CDウオークマン2台、それにこの壊れたCDプレイヤー。合計すれば8台もある。なんとCDの普及の偉大なことか。
しかし残念なことに、どのプレーヤーも、前まで仕事部屋で聴いていたTANNOYのスピーカーに繋げれるものがひとつもない。AV端子を持ち備えたものがないのだ。上のものでも聴けるが、できればTANNOYのスピーカーで心地よく聴きたい。できればというより、そうじゃなきゃいやだ。
で、もう少しよく考えてみた。
するとひとつだけその端子を持つものを思い出した。
レーザーディスクだ!
あのでっかい円盤の“コンパクトでない”ディスクのやつだ。
中でも僕が持っているのは、時間がきたら裏にしなければならない、LPレコードと同じ手作業の情緒を持つ、初期型のビンテージもの。
あれなら小さい画像の円盤は観れないが、音だけの円盤なら聴ける!
そう思ってさっそく、繋いでみた。
レーザーディスク→ビデオ→テレビ→コンポ→TANNOYのスピーカー
おいおい、ちょっと繋ぎが長すぎないか。たかがCD聴くのに、なんでビデオとテレビまでつけなくてはいけないの。
まあいいか。
意外にも今はちょうど、そのテレビの青白い光が、間接照明代わりとなって、
「テディ・ペンダーグラス」の甘い囁きを演出している。
ちょっといい感じ。

2001.12.19 意味不明

 麻原彰晃(本名松本智津夫)は公判中,意味不明なことをいっており‥‥。

このような人と一緒にしてもらいたくないが,僕もよく意味不明のことをいうらしい。
でもたいていは「意味不明」とまで言い切ることはなく,「意味がよく分からない」と言われる。
へりくだって「頭がよすぎて,よく意味が分からない」という者もいるが,決して本心はそうは思ってない。
確かにそう言われる言動があることは認める。
いくつか原因が考えられるが,思考の最中,整理がつかずに,的確に処理できなかった時の場合と,とても発想がさえわたり(自分にとっては),口が追いついていけず発する場合,また稀に,わざとそうやって混乱させ,面白がっていることがある。でも大抵は一番最初の場合が多い。
これはしょうがない。これは良くも悪くも,僕の性質だ。
意味が分かってくれなくて本望だ。なんてね。

ところで,この反対は何か。つまり「意味明瞭」なヤツである。
正直言って,僕はこの「意味明瞭」な者が気に入らない。
組織の中には,たいてい何人かこのような「意味明瞭」な者がいる。割と的確な事をいい,言動にそつがない。仕事はまじめ,スポーツもできる。スキーなんかもする。姿勢もいい。ボタンダウンなんか着ている。その人の生活を覗いてみても,隅から隅まで明瞭で、きっとあいつはこんな家具を持っていて,あんなワゴン車に乗っていると思うと,まったくその通りになっている。
人生もいたって明瞭。30歳前後で結婚し,子供ができ,30代中盤で家を買い,多分60歳代後半そこらで癌になって死ぬ。 むしろその通りになるのは少ないと思うが,予想のつきやすい明瞭さが,気に入らない。
もっと不明瞭でいろ。もっとスケベでいろ!と言ってしまいたくなる。
余計なお世話だね。

2001.12.13 ボーリングをしない

僕はボーリングをしたことがない。このことは僕をよく知る人にとっては、とても有名な話だ。
それをするチャンスがなかったというよりも、むしろ「しない」という宣言下のもとにここまできた。 これからも一生するつもりはない。もししてしまったら、それは僕にとって芸術に背を向けてしまうことになる

この決心はかれこれ、小学校4年生の頃にさかのぼる。
発端は大した理由ではない。それはちょっとしたボーリングブームのさなかのことだ。
まわりの友人たち(特に若い親を持つ者たち)は、いち早くこのボーリングというおしゃれな娯楽を経験していた。 僕の両親がそのようなものに無関心だったというのもあるが、経験していない僕は、この出遅れてしまっていたことに、ちょっとしたひがみを持っていた。
「ぜったいにボーリングなんてやってやるもんか!」
少年は強く心に刻むのである。
しかしこの話は、単にそういった「愛と誠」のトラウマ話だけではない。
(ちょっと意味が違うけど)
この思いと同時に、他に不思議なほど、冷静な感覚を持ち備えていた。

“これからこのボーリングをしないことによって,様々な困難なことがあるだろう。迫害もあるかもしれない。そしてつまらない意固地として非難され、その無意味性の中に自分が失いかけることもあるだろう。しかしこの一瞬のパッション(情念)を、心に焼き付け、かたくなに守ることができたなら、何かしら予想もできない意味が発見できるかもしれない。むしろメリット・デメリットを考えるのではなく、可能性のある無意味に期待しよう”

すでに理屈っぽい人格ではあっても、このとおり発想したわけではないが、この“無意味を悟った”ことはよく憶えている。

その後、確かに苦難はあった。一時のブームは去ったが、高校時代に再び復活し、いつのまにか今日のように、ボーリングの安定した娯楽としての地位ができていた。遊び盛だった僕は、女の子たちと楽しそうにその娯楽へ行く友人達を、いつも横目で指をくわえて見ていた。
またこのことを知ってて、わざと誘おうとする者もいた。
中には、
「もともとできないんじゃないの〜」
「やっても,へたなんだ」
などと挑戦的なジャブをふっかけるやつもいた。
くやしいが、僕はくる日もくる日も、それに耐え続けた。
社会に出てからも、
「なぜボーリングしないの?」
と気にしている女の子にも言われ、その都度、宗教上の理由や、思想上の理由で、拒否し続けた。
そんな僕を、いつのまにか影では「なぜかボーリングをしない男」とささやかれ、恐れる者もいた。

しかしそこまで、信念を通してきた理由は、一体なんだろうか。
なぜ無意味な意固地を通し続けようとするのか。

それは、おそらくマラソンランナーに「なぜ走るのか」と尋ねることと同じ意味のような気がする。
ランナーたちは「そこに道があるから走る」と答えるのと同様、
僕は、そこに無意味があるから、それに上塗りをしたいのだ。
意味のあることは、その社会的業務の方々に任せればよい。
しかし芸術家のやることは、この無意味な上塗りをすることによって、新たな組成を作りだすことに本当の意味があり、そこにこそ、本流を感じてしまうのだ。

 

2001.12.06 フレディ・マーキュリーのシャンパン

今日おどろきの発見をしてしまった。
それは、クイーンのヒット曲を鼻歌で歌ってる時だった。
僕くらいの世代であれば誰も知っている[キラークイーン]、懐かしいクイーン初期の名作である。
「シキープス、モエエ、シャンドン〜、ステテコハイテ」
中学の野球部時代(当時主将)、練習中に、うる覚えの歌詞を、よくこのようにして歌っていた。
今日も、特にいいこともあった訳でないが、ふとこの曲を思いだし、ウキウキとこの鼻歌で歌うのであった。
「シキープス、モエエ、シャンドン〜‥‥?」
んんん? “モエ、エ、シャンドン”?
ちょっと待てよ、もしかしてあのシャンパンのこと?
気にかかったのは、近頃話題にしているシャンパンの銘柄[
Moet et Chandon*]のことだ。
早速真実を確かめるため、ネットで調べてみた。
「キラークイーン」の歌詞のサイト(下参照)によると、こういうものだ。

"She keeps Moet et Chandon
In her pretty cabinet"

“彼女は、可愛いキャビネットに、モエ・エ・シャンドンを保存している ”

僕でも訳せる歌詞だが、まさにシャンパンの[モエ・エ・シャンドン]のことである。
[モエ・エ・シャンドン]といえば、あのF-1レースの優勝のときにかける、シャンパンを代表するものだ。つい先日もそれを知人宅にお土産として持っていき、その素晴らしいフランスの誇りを堪能したばかりだ。
しかしそんな固有名詞が、このクイーンの歌詞にあるとは全く考えてもいなかった。

そういえば今思い出すが、中学当時も一応歌詞カードを見たが、この「モエ・エ・シャンドン」という意味がさっぱりわからなかった。その前後はいくら頭の悪い僕でもわかるが、仏語っぽいので、気にもせず、放置したままだった。
しかしなんと運命的なものだろうか。というかアホなことであろうか。
今まで25年もの間、鼻で歌い続けていたこの曲は、この敬愛するシャンパンの名を呼び続けていたのだった。

実はその「クイーン」が僕が高校1年の時、金沢でライブがあった。
見に行った僕はショーの中盤、フレディ・マーキュリーが、
「シャンパーン!」
と言い放って、客席に振りかけるというシーンを見た。
僕のところにまでは、かからなかったけど、今考えると、その時のシャンパンは、おそらくこの「モエ・エ・シャンドン」であったにぜったいに違いない。ほんとに。

それでそのシャンパンがかからなかったのは残念だったが、そのかわりに、後でフレディ・マーキュリーが、タンバリンを投げてきた。遠く飛ばしたそのタンバリンは、運良く僕のところに飛んできて、かなり周りと取っ組み合った末、自分の手にすることができた。
今は実家に宝として眠っている。
20万円くらいだったら売ってもいいぞ。

Moet et Chandon;
http://moet.com/prehome/prehome.asp?s=8
Killer Queen;
http://gunther.simplenet.com/v/data/killerqu.htm

* Moet et Chandon の正式なつづり「e」の上のてんてん(トレマ)は、文字化けを避けるため省いてあります。

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