2001.9.23 SOHOのキーホルダー

今日珍しく掃除をしていると、下駄箱の上に古いキーホルダーが見つかった。どこから見ても安物で、プラスティック製のありふれた物だ。こんな物をどうしてとっておいたかというと、当然訳があった。それは14年前に、ニューヨークのSOHOを歩いている時、何かわからない人に「くじがあるからやってきな」と誘われ、疑う時間もないまま、強制的にくじをさせられた。みんな見守る中、息をのみ、そっとくじを引いた。すると期待もむなしく大はずれ、そのはずれの商品がこれだったのだ。で、それだけのこと。それから何があったわけでもなく、考えたら、ちっとも面白くない話だ。僕は自分の甘い盲点に気付いた。さして重要でもないくだらない思い出を無防備に放置してきたのだ。むしろこの品物は、自分のくじ運の悪さを象徴しているようでもある。とっくに捨てるべきものなのだ。
「こんなものとってあるから俺はいまだに運が悪いんだ!」
などと腹を立て、
「この疫病神め!」 と憎みながら、ゴミに捨てた。

 

可哀想にゴミとして捨てられたキーホルダー。 でもしょうがない。
僕はドライなのだ。

(ガリガリ君のあたり)

一方こっちは今年の夏の思い出。 これは運がいいのでとっておこう。

 

2001.9.15 やはりテロのこと

すごい映像だった。この様は「まるでハリウッド映画のように」という比喩は、おそらく日本の4000万人以上の人が言っている。さらに8000万人以上の人が、このテロを卑劣と思い、2000万人くらいの人が「それ見たことか」とアメリカの憎まれ口を叩いている。無論これはあてずっぽうの数値だ。しかし最初このテロたちを憎んでしまうのは必然だが、それよりもこの悲劇を冷静に受けとめ、再び悲劇を繰り返さないように願う人たちは、できるだけ巨大な数値であってほしい。
一方今回の行方不明者は現在のところ、4千数百人。死者が確認されるのを合わせたら5千人以上である。当初1万人以上と予測されたが、こちらはなるべくその数値に近づいて欲しくない。

 Photo by Yoji Kameda,1987

僕が1987年にエンパイヤーステイトビルから撮ったWTC。
当時、このニューヨークの象徴も、日本の景気も、僕の希望も、明るく輝いていた。

2001.9.11 訂正しようと思ったけどしない

昨日山崎さんのことを書いてる中で「ダダ以降の美術史的,美術論的」というのがあったが,今日改めて見て、その表現に赤面したところだ。それはあまりに使い古された言葉で,とうの昔にカビが生えて,BOOK OFFで3周り以上もしてそうだ。今風なら、フルクサスでアイロニカルなメタルフォーズされたカオス(?)といった言葉を使った方がかっこいい。でもやめておこう。美術評論家のインテリジェンスの紋章の入った武器は触らぬ方が賢明だ。実際その手の言葉はよく分からない。分からないのに使うのは、左官屋の電動工具ほど危険だ。 ただでさえ,遊びすぎた表現で,伝わりにくいものや,誤った表現がある中,この「ダダ以降の美術」なんてむしろ古風でいいじゃないか。訂正するのやめた。

2001.9.10 山崎克己展

先週、山崎克己展に行ってきた。彼は知る人は知る漫画家で、現代詩手帖や仁王立ち倶楽部などのマイナーな雑誌に掲載していたアンダーグランドな作家だ。最近では、フレーベル館の絵本も描くようになって、ちょっと地上に上がってきた。僕が上京した当時からの知り合いで、制作の面などで一番相談できる、最も敬愛する人のひとりだ。 以前はストーリー性のある漫画も描いていたが、最近は1コマの木版画調の紙刻絵(しこくえ;本人が命名)を中心に制作している。その強いタッチには、一瞬通常のコミカルでノスタルジックな世界観を発見するが、じっと観ていると、それ以上のとてつもない深さに遭遇する。それは、ありふれた1コマ漫画の一瞬で終わってしまうユーモアや、ましてコミック漫画のように「読まれるスピード」を意識して組まれたものなんかではとても表せない、むしろ対極をなす形で、とても高等な純粋絵画の組織で作られている。 だからコミック漫画を読み慣れた人は少し苦労するかもしれないが、その味わいは、悪い意味でも美術鑑賞しなくてはならない。
また彼は現代美術出身であるが、多くの美術学校出の漫画家が、表面的に描ける程度で、ほとんどの場合が手塚手法の漫画で終始してしまう中、これほど構造的な部分に着手している漫画家は数少ない。それはダダ以降の美術史的、美術論的に、前向きに制作しているという本人の姿勢から由来する。
今回の作品は、数年来続けているモノクロームの紙刻絵が主体であった。相変わらずどの絵も画面の隅の隅まで見逃せない力作だ。ただ気になったのは、彼のいつも言われるノスタルジーに関する部分だ。彼はそのようなノスタルジーを意識することは本意ではないらしいが、そのように映るのはどうしてだろう。彼は原因として、記憶を元に描くことが大きいと言っていた。しかしおそらくそれだけではない。その記憶をたどることに加え、それは何か過去の形へ平板化するような特性がある。すなわちその手法が示すように、一度描いて切り刻むシステムに、複雑に操作した過去への清算の刻印が、自ら記されているように見えるのである。

 山崎克己「いちご飴の部屋」

ところでこの展覧会を観たあと、ある重要な食事会があって、家族で新宿のセンチュリーハイアットの中華料理を食べに行った。うちはそんなハイソな家族なのだ。ははは。 このホテルのロビーには、とてつもなくでかいシャンデリアがある。「これは一体いくらするんだろう。1個1億くらいかなあ、いやそれ以上かなあ」などと、よこしまなことを考えていて、ふと山崎さんのこの「いちご飴の部屋」を思い出した。

2001.9.9 訂正とお詫び

9月6日にupした「ヤクルト・安田」において近所のKさんからクレームが入りました。 文中における、幼いK少年が邪険に扱われたのは巨人上田選手ではなく、同球団土井正三内野手でした。上田選手に大変不名誉な扱いを与えたことを心からお詫び申し上げます。 加えて、張本選手にも同じことをして、同じような扱いを受けていますが、そのことについては、「今でこそ理解できる。大変申し訳ないことをした」と、調停前の犯罪者みたいなことを申しております。本人反省の上、ご理解のほど申し上げます。
また「初芝を育てた」に関して、この初芝選手には、野球だけではなく、タバコも教えたそうで、インターネットは世界中の人が見るので、「正しい情報でなければいけない」と申し出がありましたので、事実を加えさせておきます。
以上、訂正と補足でした。

2001.9.6 ヤクルト・安田

ヤクルトといえばなんといっても安田である。また野球の話で申し訳ないが、そんなに僕が野球に興味がない頃でも、この安田という投手はとても印象深かった。がんばれタブチ君にも登場する彼は、その左からの変則的なサイドスローはいかにも打ちづらい。どちらかというと丸い体格から、くるっと回転して、すいっと入ってくる球質は、体型を越えてスタイリッシュなものだ。さらに彼を特徴づけるような派手なグラブの色は、中日の森本(元阪急)の銀色グラブと同じく、なんかふてくされたような色合いが妙に格好良かった。しかし圧倒的に巨人ファンがしめるこの日本では、否が応にもこの風貌や球種も、嫌われる対象であった。逆にそうでなければならない。対巨人投手はそう思われるほど投手としての存在は強くなるのだ。
そんな安田だが、プライベートではとても優しかったという。うちの近所に池袋育ちの自称;「初芝を育てた男」K さんは、少年時代、自分の好きな野球選手の家によく電話をかけた。当時巨人の上田に電話をかけたところ、奥さんに邪険に扱われ、少年の心をひどく傷つけられたが、安田の場合は優しく取り次いでくれて、お話しできたという。そもそもプライベートの野球選手のうちに電話するなんて無礼なことだが、それに付き合ってくれたのがこの選手のふところの大きいところだ。
ところでこのKさん、後楽園球場の巨人戦で高田がファインプレーをしたとき、たまたまレフトの外野席で見ていて、翌日の新聞の、高田の「塀際の魔術師」の写真に、ちゃっかり写っていたらしい。Kさんはそういったくだらない自慢が大好きな人だ。ただ先の「初芝を育てた」というのに関しては、単に同じ中学で、顔を見た程度のものとして理解しておいた方が良さそうだ。
そんなことはどうでもいいが、今年の優勝は、そんな安田のいたヤクルトになりそうだ。そこで何ゲームかの差で追いかける巨人の事をいうと、それがたとえアンチとしての意見でも、「アンチ巨人も巨人ファンのうち」と思われるのがしゃくなのでやめておく。
ただ「優勝はヤクルトになりそうだ」ということ、 これは事実なのだ。

2001.8.30 馬 六明(Ma Liuming)

いきなりだが現代美術は、野球で例えるなら、とても美しいフォームで投げるボール(ストライクの反対)か、あるいは、へなちょこに投げるストライクかが基準となり、変容として、へなちょこに投げるボールまでは認められるが、とても美しいフォームでなげるストライクは絶対認めてはならない。今日見に行った馬 六明の場合もそんな原則にのっとり、ちょっとへなちょこに投げる、ちょっとボールぎみの投手だ、いや美術家だ。だから打ちにくい、あのイチローだって打てるかどうか。
馬 六明は、前々から見たいと思っていたが、今日初めてgallery Qで見た。会場に馬氏はいなく、画廊の人も相手してくれる訳でなく、ひとりぼっちで、タブローとそのパフォーマンスを納めたビデオを見ていた。タブローは彼の専売特許である赤ちゃんの身体に彼の自画像が描いてあるというもの。数年前に印象づけられたこのテーマは以前の作品かと思いきや、サインに2001と明記してあるから今年の作品だ。(ふーん)。
気になったのはやはり、そこに設置してある彼のビデオ。魚(生きた鯉)がぶら下げてあるシャワールームで、裸になってシャワーを浴びるというシーン。彼の女性的であるという風貌から話題になったが、所詮彼は男である。立派かどうかは知らないが、股間にいちもつをもった男性である。なんで僕はそんな裸の男のシャワーを浴びてる人を長々と真剣にみてるのだろう、妙にへんてこな気持ちを発見し、その居心地の悪さに、現代美術のストライクゾーンの容積を再認識したのだった。

ところで馬 六明とは関係ないが、今キーボードを打っていて、誤って「美術」を「煮術」と打ってしまった。BとNは隣同士だから間違えやすいが、僕の使っているATOKがすぐに変換した「煮術」とは、一体何なんだろう。
現代煮術。いいひびきだ。

馬 六明 /1969年生。北京在住。ギルバート&ジョージが北京郊外の東村に立ち寄った時から、その出迎えとして裸のパフォーマンスを行ったのが最初。2回目のパフォーマンス後猥褻罪で逮捕される。顔にメイク、爪をマニキュアでを施し、マスターベーションを行うというパフォーマンスなど、しばしエロスを伴ったパフォーマンスで注目される。8/27〜9/14、gallery Q(東京・銀座)にて開催

2001.8.25 OLTASデッドストック

先日1980年の月刊プレイボーイ誌をみる機会があった。昔懐かしい坂口良子のセミヌードグラビアはさておき、その広告に気になる物があった。OLTASという男性化粧品である。これは、僕が高校生の時、金沢市の笠市町にある散髪屋に通っていて、よくつけてもらった物だ。当時の男性化粧品では、草刈正雄と渡辺貞夫が宣伝するブラバス、マストロヤンニのバルカン、タクティクスなんかが有名だったが、このOLTASは、特にTVCMが無かったので、それほどポピュラーではなかった。しかし香りがこざっぱりとしていて、清涼感があり、けっこう気に入っていた。 価格も比較的安いので、高校生としては手が届きやすく、さらに丹頂チックや柳屋のポマードのようにスーパーに売ってなかったので、ある種のプライドも温存できた。でも残念ながら、化粧品は、無情に変化していくもので、男性物も、女性物と同じく、次から次ぎに商品展開し、このOLTASもいつのまにか薬局(当時ドラッグストアはあまりなかった)から消えていた。
月日が経ち、そんなものも、とっくに雪舟の水墨画の谷底に記憶がおいやられていたある日、それに衝撃的に出会うチャンスがあった。今から5〜6年くらい前のこと、とある上福岡市(人口5.5万人)の古い薬局で、ショーウインドーの棚にしっかりとOLTASの製品が並んでるではないか。思わず僕は懐かしくなり、その店に入った。「すみません、あのOLTASなんですが‥‥。」 店主のご婦人にその製品に興味があることを言うと、ばつが悪そうな態度で「あ、いいですよ」といって、そそくさと包みだして、OLTAS製品全6品をただで譲ってくれた。考えて見れば、僕が指摘するまで、あのショーウインドに、おそらく最低10年、最大15年もの間、何も動くことなく、田舎の家の布袋様のように、陳列されてあったのだ。埃のかぶり方からして、ある種のマニアをターゲットとしたものではない。単純にこのおばはんの無頓着からなのだ。汚点といえば汚点である。僕は、それを持ち帰り、薬局のおばはんの時間の経過と、自分の時間の経過を照らしあわせながら、遥か遠くの青春の、ほのかな香りを堪能した。
あれからさらに5年、僕は80年月刊プレイボーイを見て、再度このOLTASを思い出した。さっそく洗面所の化粧台の下から取り出し、確かめてみると、その20数年にもなろうかとするその香りは、芳醇に熟し、青春の香りは未だに健在であった。こういうものを酒で言えば、「ビンテージもの」とでもいうのだろうか。そういえばビンテージというのもあったな。

月刊プレイボーイ、1980年5月号の広告から。 証拠として先日のボクシングのパンフをそえて。

2001.8.20 臼井の泣いた日

今日後楽園ホールに行って来た。友人のボクサー臼井知史の試合だった。相手はナイト・アレキサンドル(協栄ジム)世界ユース選手権優勝の実績を持つロシア人。プロ3戦目ですでに世界ランキング18位のつわもの。どういう基準で世界ランクが決まるかしらないが、とくかく手強い相手だった。スーパーフライ級なのに、けっこう身長があって、とても大きく見える。童顔も手伝って、まるでK1のピーター・アーツみたいにタフな坊やだ。パンチは機敏で、しかも確実。その「はつり屋系振動ドリルパンチ」は大きく降り被ることなく、「ドッ、ドッ、ドッ」と素早くねじりこんでくる。臼井の狙い定めた「石材系アケミパンチ」も、さすがにとどかない。いくつかボディに決まってはいるが、相手の方が確実だ。それでも臼井は、見かけが悪人づらだが、倒れることはない(つらは関係ないけど)。彼はもともとめっぽう打たれ強いのだ。でもやってきた6ラウンド。相手の連発する攻撃に、コーナーに押し寄せられ、絶対不利。あびせかる「はつり屋アレックス」の振動ドリル「ドッ、ドッ、ドッ!」。そしてとうとう下された。テクニカルノックアウト‥‥。あ〜‥‥、下された判定は重い。悔しがる臼井。泣く臼井!あ〜涙‥‥。 彼が何を思ったのは定かでない。ヨネクラジムである彼が、敵地、協栄ジムで望んだことには不利である。しかしそこの小さな勝ち負けで彼が悔やしがっているのではない。今回は相手が鳴り物入りの強者であるからこそ、彼が大きくアピールできる絶好のチャンスだったのだ。年齢は臼井が30歳。相手は20歳。ベテランである彼が、少ないこのチャンスをものにできなかったこの思いが、これまでみたことのない涙の顔で語っていた。

2001.8.9 鉄アレイ

骨を描いている、いや骨みたいなものを描いているつもりだが、たまに鉄アレイと言われることがある。骨であることの重要性は、ないようで、あるようで‥‥、でも鉄アレイと言い切られると不本意である。ま、それはいいとして、鉄アレイと言えば思い出すことがある。
僕が石材関連の職人をしていた頃、島田さんという人と良く仕事をした。彼はある意味スゴイ人で、本職はシルクスクリーンの刷師をやっており、ニューヨークに15年間工房を持ち、ジャスパー・ジョーンズやジョン・ケージ、ルイーズ・ニーベルソンといった現代の巨匠たちと交流し、J・ジョーンズにおいては、シルクスクリーンは彼のもの以外は刷ってないらしい。相当仲がよく、彼の家にもよく出入りしてたことを聞いた。実際島田さんの家にも大きなJ・ジョーンズのシルクの作品がある。クロスハッチングの頃のもので、一時は億単位の値段だったらしいが、今は600万円くらいと言っていた。 僕もジョーンズのファンなので、盗んできたかったが、そうもいかなかった。
僕も一度、島田さんにはシルクを刷ってもらったことがある。結婚式の引き出物の六角形の作品で、まさにタイトルも今のこのHPのタイトル;hexagonal visionsという思い出のものだ。
ところでこの島田さんには面白い性癖がある。性がつかない癖もある人だが、現場にいっては何でも拾ってくるのだ。それで何度も喧嘩もしたが、とにかく現場のゴミ置き場に行ってはめざとく見張っている。彼のうちは、そんな物の宝庫で、あらゆる木材、資材、電動工具、電化器具等があり、掃除機なんて15個くらいある。 ある都内の現場でやはりいつものようにゴミ置き場を物色していた。すると鉄アレイの5kgのものを2つ見つけ、もって帰るという。特に彼はスポーツをするわけでなく、ウエイトトレーニングとはほど遠い生活ぶりなのだが、どうしてももって帰らなければ気がすまないらしい。それで彼のリュックにそれを入れ、また他のものも色々入れ、相当重くなったリュックで電車に乗ることになった。少し手伝って上げればというかもしれないが、甘やかしてはいけない。何せそれは彼の趣味の問題なのだ。手出しすると、ろくな事はない。しかも50歳代半ばの割には、憎たらしいくらい健康である。誰が手伝ってやるもんか。
それから軽々ではないが、なんとか電車に持ち込んだ。そしてすぐに荷物を車内の床に置き、ドスンと大きな音。まわりのお客さんはびっくりしたようにそれを見て「何が入ってるんだろう」というような不審な目つき。僕はそれを見て、急におかしくなってきた。誰がこの中に入ってる物が鉄アレイであると予想するだろうか。危険な薬品や、爆発物に疑いをかける人がいたとしても、いいおっさんが、さしあたって必要でもない鉄アレイを運んでいるとは、おそらく誰もが考えの及ばないことであろう。もし万が一、悪いヤツがいて、この重そうな物を金かブロンズでできた仏像なんかだと思って盗んだらどうだろう。金目になるかと楽しみに家に持って帰ったら、なんと鉄アレイ10kgとゴミみたいなものしかない、がっかりして怒り出す泥棒。それを考えたらおかしくてたまらず、一人で笑っていた。
その後幸運にも何も盗まれることなく、無事に持ち帰ったらしいが、今はどうしてるんだろう。島田さんも、鉄アレイも。 ジャスパージョーンズの絵の下にでも置いてあるのだろうか。
ところでうちにも鉄アレイがある。これは拾ってきたものではない。見本の生地を参考に、ゼブラ柄のつもりでペイントしてみたが、良く見ればホワイトタイガ−柄だった。かっこいい。

2001.8.4 告知;ボクサー臼井の試合

告知になりますが、僕の友人のプロボクサー臼井知史の試合が8月20日に後楽園ホールであります。彼とは僕が「準・日雇い人夫時代」からの友人で、東京ドームホテルや国立がんセンターなどのビルで、一緒にゴンドラに乗って命を共にしていた仲間です。彼とはよく飲み、彼のうちにいっては、嫁さんに意地悪をし、よく泣かしました。でも料理は上手です。 また彼は彫刻家志望という特殊な経歴で、芸大目指して浪人経験があり、舟越保武や佐藤忠良なんかが好きな、善良な彫刻少年だったらしいです。 今回はメインということで、テレビなんかも注目しています。相手は共栄ジムのゆうり2世と言われるロシア人。試合何度かですでに世界ランクに入ってる相当なつわもんで、 おそらくそっちが注目されてるから、いわば巨人に対するはヤクルト≒臼井ってところ。
勝てよ。
観戦希望者はご連絡下さい(10日あたりまでに)。

2001.8.2 星一徹と奥村綱雄氏

先週奥村綱雄氏から藍画廊でやる個展の案内状が届いた。奥村氏は大学の先輩で、彼の住んでいた鈴見荘は、当時僕がしていた競馬場のアルバイト仲間が多く住んでいてよく出入りしていたが、その時は顔を知ってる程度で、たまたま銀座で同時期に個展をやる機会があって、改めてそこで美術家として面識をもち始めた。彼はいわゆるコンセプチュアルアーティストで、自分たちの持つ世代的なものや生活的なものをモチーフに作品化している。今回は「夜警の刺繍」というテーマで、資料によれば、生活のためガードマンで働く彼が、その時間の中で刺繍をし、その途方な時間を有するミニマムな工芸作品(おそらく)と、ガードマン服などのヒントとなる物を併置するというものである。(今回はどのようなものかわからないが) それで僕が気になったのは、ガードマンという「職業」とある「志」の間にある「もの」である。
そこで対比したいのが、「巨人の星」における星一徹の労働である。彼は息子飛雄馬を名門の星雲高校に入れるために必死で働く。彼には強い志があり、巨人の星にしたてあげるというものだった。しかし名門である以上、その親の職業などが差別される。 そこで飛雄馬は言う。 「僕のとうちゃんは日本一の日雇い人夫です!」 この歴史的名文句はのち放送禁止用語になるが、僕は巨人の星の中でこれが一番印象深いシーンだ。さてここで疑問なのは、星一徹ははたして日本一の日雇い人夫であるかどうかということ。肉体労働における手際のよさだの、その職業的技術力で評価するのはいいが、彼はその職業を誇りをもっていたか、「志半ば」の職業をいたずらに日本一と評価していいのかという問題。むしろ日本一とは、子育てにかかってくる事で、「志」と日雇い人夫という労働との間の問題が浮かび上がるのである。
さて話は奥村氏に戻る。問題なのは、彼は「日本一のガードマンか」ということで、おそらく日本一でないと思う。いやわからないが日本一と言って上げることが失礼な気がする。でもその「日本一」に代替えできるような「妙な物」、それがが僕はとても気に掛かる。
宣伝してあげましょう。2001年8月6日〜18日 藍画廊にて開催。

 

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