2004.5.24 【バンダナ】

ずいぶん前深夜のテレビ番組で、ニューヨークの派手なオカマ2人が、
「ブルース・スプリングスティーン?」
「ダッサ〜〜イ」
とユニゾンして言っていた。(なぜか日本語で)

確かにオカマがB.スプリングスティーンがダサイと思うのはよ〜くわかる。
僕が巨人の清原のセンスがどうしても好きになれないように、B.スプリングスティーンの埃臭さとか汗臭さとか“当たり前すぎる男気”が美意識として許せないのだろう。

清原と言えばあの打席に出てくる時の応援歌「トンボ」。
“お〜〜お〜〜お〜〜”
この長渕の歌も僕はだめだ。恩着せがましい男気がたまらなくだめ。

ついでに「燃えろいい女」を歌った世良正則。
“まぶし過ぎる〜、お前との出会い〜〜〜”
やめてちょうだい。

どうしてこれらが好きになれないのだろうと考えたら、ひとつのアイテムが見えてきた。
それはあの柄付きの布、“バンダナ”だ。

そもそも僕はバンダナが大嫌い。柄を見るのもイヤ。あ〜いや。だっさい。不潔。

飲み屋に行ってバンダナをしている主人はまず信用しない。
ニュースを見て、たとえ立派な市民運動家でもバンダナをしていたら応援しない。
犬のくせにバンダナをしているのを見たら後ろから蹴飛ばしたくなる。

バンダナ→ハーモニカ→硬派→体臭→ブドウ球菌
やっぱり不潔だわ。


2004.5.11 【ポップ・アート】

雑誌で村上隆の紹介にポップ・アーティストとかいてあった。
果たしてこういう呼び方は正しいのだろうか。

ポップ・アートとはアンディ・ウオーホルなどの日常の既成的ものをモチーフとしたアートのことを言って、いわゆる音楽の「ポップス」とは別の言葉だ。 つまりポピュラー・アートではない。
しかし一般では「ポップス」と同意語に扱われている場合が多く、どこか庶民的アート全般を指した言葉の感がある。

だから村上の場合も本来のポップ・アートとしてよりも民間レベルに浸透したもの(悪く言えば通俗的なもの)としての意味が強く感じてしまう。

かといって80年代のニューヨークのグラフィックたち;キース・ヘリング、ジャン=ミッシェル=バスキアなど、当時ニューペインティングと言われた人たちを“ポップ・アート”と呼ばれる時、これは本来的な意味からずれていたとしても、むしろその方がしっくりくるようにも思える。

それは、どこか言葉のニュアンスにあるのでなかろうか。

以前書いたように「ヒップホップ」という言葉も、もともとの出発点の意味と違うが、“ポップ”“ホップ”という響きには、大袈裟に言えば20世紀の情報化社会と民主主義を集約した言葉のリズムがある。

逆にその言葉のその大きな含みがあるにもかかわらず、ウオーホル近辺のことだけに限定するのはもったいない。
その時点では単なる大量生産の既成品をモチーフにするアートのムーブメントに過ぎず、原型を作りえたとしても“ポップ”という大きな的までは届いてはいないのだから。

よって村上隆は本来的な意味が、たとえウオーホルと同じカテゴリーに含まれなくても
[(ジェネレーション的)日常を起因としているから、本来のポップ・アートと共有する部分もあるが]、
今の解釈の“ポップ”・アーティストとして呼んだほうがむしろ自然かもしれない。

 

2004.5.6 【ラーメンと音楽】

ラーメンと音楽が似ている点は、どちらも価格が均一であることだ。

音楽は実際にコンサートを見に行けば金も掛かるが、たいていCDという領域で満足できる。よってだいたい¥2〜3000前後。だから高級な音楽でも、そうでないものでも値段の差は原則的にない。

一方ラーメンもたいていは¥650くらい。せいぜい贅沢するものでも“全部のせ”が¥1,000程度。フランス料理の域の値段まで到達するラーメンはまずない。

要は2つとも金の出しようによって変化するものでなく、民衆レベルの値段で評価できる。
ある意味とても平等。プロレタリアだ。

またそれを目指そうとする者も、どこか共通のものがある。
双方とも独特の“こだわり”を持っていて、風貌もどこか目つきが鋭い。
それはどこか“カリスマ”を演じなければならない切迫感からでもあったり。
実際に流行ってるラーメン屋の風貌を見ても、どこかミュージシャンに似ている(幾分ラッパー的)。
また人気店でかかっている音楽も、クラブっぽいものや、ジャズっぽいものも多い。
むしろ今だ演歌の有線かけているところに人気店は少ない。

もともと音楽は、他のものと関係を持って(;例えばヒップポップとバスケットやサーフィンミュージックのように)、カルチャーに結びつくことはごく自然なことだ。
よって予想するに、ラーメンと音楽が結びついたラーメンミュージックという分野が登場してもおかしくはない。

しこしこ、ぎっとり、麺固め!
<あっさり!>(裏打ち風に)

やっぱり次は[ヌードル系]だ。
間違いない。

 

2004.4.27 【ラーメンとギター】

ラーメンとギターは似ている。
一方は楽器の祖:弦楽器であり、もう一方は食の祖:麺類である。
歴史的にも弦楽器も麺類もおよそシルクロード、航海時代に広まっており、弦楽器、麺類いずれも世界的の様々な地域で変化してバリエーションも多い。
いずれも庶民的な中で支持され、それぞれの民族性を持っている。

でもそれより重要なことは、この弦楽器と麺類の形状が、同じ『線』を利用したものであるということ。
いわば「線」という1次元の領域。視覚造形でいえば、ドローイングという世界になる。

シンプルゆえに、語られれるこの媒介(次元)に、ラーメンとギターはとても雄弁だ。
うまいもまずいも、この線の領域にのせれば分かりやすいのだ。

さて先日行った熊本ラーメン「なんつっ亭」。
野太くて少し野蛮な線に、まるでドーミエのデッサンを連想す。

さらに厚木、ZUNDO−BAR。塩(鶏脂入り)
塩ラーメンの巧妙な味の密度に、コーネル・デュプリーのギターテクを思い興す。
まるでかのキング・カーティスとの共演のようだ。

 

2004.4.12 【愛】

『愛』とはなんであるのか・・・。
う〜〜ん。
苦悩でもしてもしょうがない。僕はゲーテではない。

“愛〜それは〜悲しく〜
 愛〜それは〜切なく〜”
 
『ベルサイユの薔薇』を歌っている場合ではない。
さりとてなぜにこの『愛』という言葉を、人類史上幾千幾万も歌われ続けているのだろうか。
そしていくら愛を語ろうとも、なぜに人間は悲しいのであろうか。

さて我々社会生活の中、いつも問題な部分は「情に流される」というのがあるが、その処理を巡って問われるところにある。まさに「情=愛」との戦いである。
これは永遠のテーマであって、「太陽にほえろ!」でも、山さんと犯人とのやりとりも、いつもこの「情=愛=むなしさ」である。
しかし一般に、情ばかりを優先すると生産効率が悪くなる。多少「情=愛」を無視してかからないと円滑に進まない。

昨日(4/9)のイラクでテロ集団による3人の邦人が拉致され、自衛隊の撤退を要求するというニュースがあった。
まさに3人の生命と国の威厳をかけた情と、国の「生産性」を天秤に計る出来事だ。
色々と論議される中、「情」を示しているようで、事実上政府は「生産性」を真っ先に重視した。
小さくても重い3人の生命より、政府の考える同盟による国益の方をまず最初に結論づけることとなった。
被害者の家族たちは悲しんだ。だってむこうの要求である[自衛隊撤退]が最初から選択肢にすら入っていないのだから。

この場合政府は「愛」を無視したのだろうか。いや多分そうではないと言ってくる。なぜならもっと向こう側に大事な「愛」があると主張できるのだから。

人質の皆さんには全力を尽くすが、テロに屈してはいけない。

(テロ呼ばわりして違う反感をかったともされるが、それとは別に)
被害者でなくとも戸惑いを感じざるをえない。
益々「愛」というのものが分からなくなってくる。

“愛〜それは〜悲しく〜
 愛〜それは〜切なく〜
 愛〜それは〜苦しく〜
 愛〜それは〜はかなく〜
 愛〜愛〜愛〜
 ああ愛あればこそ
 生きる喜び
 ああ愛あればこそ
 世界は1つ
 愛故に人は美し”

(宝塚歌劇団「ベルサイユのばら」、序曲「愛あればこそ」より)

 

2004.3.23 【北野映画】

最近『ぼやき』が多い。多分年をとったせいである。
体制的な価値観を斜に構えて観てしまう。
いけないことだろうか。

さて、北野武の演技を見ていると思うことがある。
あいつは下手だと思う。
へたくそ、べ〜〜。

確かに国際的評価は受けている人だけれど、日本においてタレントとしてとても強い印象があり、それゆえその強すぎる「実体」が邪魔して、妙な抵抗感を感じる。
「実体の強さ」が原因というのはいささか欲目の見方であって、正直、彼の演技力が自分の個性を越えていないように思う。
もっとも、あの個性に勝とうとする演技というのも大変であるが、少なくとも「マルチ才能ぶり」から陥りがちな、基礎の欠落が目立ってしまう。

彼が歌を歌っても、絵を描いても、そりゃあそこそこのものであるが、肝心なところの荒っぽさや、自己流のくせがでている。
不幸にも“注意されずにここまで来た”感じが否めない。
多少は目はつむれたとしても、途中嫌気がさすときさえある。正直「どうにかしてよ」と思ったりする。

もっとも大きな不幸は、北野武がその“神格化”されているところにある。
マスコミも彼のやることを批判するものはいなくなっているし、反発できるタマもいない。
小説を書けば「すばらしい」。絵を描けば「すばらしい」。『座頭市』は「斬新 ですばらしい」・・・
ああ、そうですか

確かに北野武は魅力的な人だと思う。
でもすべて讃美する必要はない。
僕は少なくとも役者としての彼はヘボだと思う。

 

2004.3.17 【J.FERIE】

僕が最近入手した乗用車はレパード・Jフェリーというもので、国内では4400台しか売れなかったレア車らしい。ちなみに売れなかった部類として、1990年のユーノスコスモで8875台 。あの幻のスバルのジウジアーロデザインのアルシオーネSVXですら総生産台数は2万台らしいのでそれ以下ということだ。

別にそれだからといって選んだ訳でなくて、それなりに好きだったからからだけれども、開発費から換算すれば、1台あたり何千万という計算になり、いっそうお得な感じはする。

売れなかった理由はデザインが日本人に好まれなかったということがよく言われているが、決してそれだけではない。
実際に売れているマークIIとか、セルシオとか、トヨタの売れてきたものが最初から日本人に好まれるデザインであるかといえばそうでもないと思うし、よほど嫌われるデザインでもないが、トヨタの営業戦略の中できっちりフォローしたんだと思う。
(実際VISTAなんて良く売れたと思う。)多分『車の美学の説得』なんてそれほど難しいものではない。

しかし当時のニッサンは努力を含めた戦略意識が薄く、開発コンセプトさることながら、そのようなマーケティングがとても下手だった。(当時だよ)

実際レパードの歴史を見ると、『ソアラの対抗馬として作って、競争に負けたから4ドアにし、今度は丸っこいのも作ってみたが失敗し、やっぱり四角に戻してまた失敗』という、こんな節操のないコンセプトに、ユーザーがついてくるはずがない。多くのジャーナリストがスタイリングだけをいうけど、一番の(売れなかった)理由はこの前提にあると思う。

しかし、僕にとってはそんなことはどうでもいい。
僕はそんなレパードの歴史やニッサンの利益なんて知ったことではない。
(実際これ以外のレパードにはまったく興味がない。レパードという名前すらだっさいと思う)

そもそも自分が買える範囲の量産車にたいした期待もしていないが、どうせ乗るならちょっとくらい面白さがあってがいい。
ジャグアっぽいところもあれば、クライスラーの感もある。

売れるつもりで作ったのだろうが、売れなくてもいいという余裕のフォルム。
まさにまだ余力があった頃のニッサンのカリフォルニアで作った脳天気な車。
とてもじゃないけどこの車はゴーン以降のニッサンには2度と作れないだろ。

 

2004.3.8 【芸術家の車選び】

車を換えた。
車というのは贅沢品である。同じ贅沢なら本当に贅沢な方が良い。でも贅沢にもほどがある。よってベンツS600は諦めた。
話によると狙っていた2000万円以上もしたW140型S600、最近後ろから火を噴くという。メルセデス・ベンツ社が火を認めた、いや非を認めたという(くだらん)。
なのでちょっと1回治すのに60万円もかかるベンツはやめて、国産車にした。そこまで金がない。あるわけがない。

ところでこれまで乗っていた車は、今は珍しい日産グロリアY30。日本で初めてV6ターボエンジンを搭載した高級車も、さすがに15万kmを越すとガタがくる。
先日クラシックカーマニアの雑誌を見たら、うちの車がクラシックカーだった。確かに昭和の車だからしょうがないが、内心ショックだった。

それで次の車だが、芸術家たるもの、なるべく個性的な方がいい。そもそもベンツなんかよりも、アメ車のエゲつないやつとか、できれば新しいベントレーとか、美しい曲線のスーパーカーとか、金が許されればどこまででもいい。でもどこかで妥協しなければならない。芸術家でなくとも、“車選び”の本質はむしろ妥協地点にある。

だから、決して高い車でなくとも、一般的によい選び方というのがあって、よってfitやカローラが売れる理由がある。しかし僕は“芸術家と言うハンディ”があるから、そういう選び方ができない。だからこれまで「どうでもいい」ふりをしながら“逃げの選択”にいかざるをえなかった。

しかし今回はちょっと選んだ。
さて何を選んだかというと・・・・
やはりやめておこう。
能書きのうるさい庶民派芸術家が選ぶ車一体何であったのか、すぐに言ってしまうのはあまりにもったいない。
しばらくじらしておこう。
ヒントは国産で絶版車(アメリカでは現行車)、V6、3000cc。
さあ何でしょう。

 

2004.3.4 【マルモッタン美術館展-東京都美術館】

最近この手の印象派美術展には行ってなかったが、モネの睡蓮が見たくてマルモッタン美術館展へ行って来た。
同じ時期、このトビカンでは首都圏の美術学校の卒展などが開催されるが、仕事柄一応義理で“ささっ”と見て、あまり深入りせぬようにして展示室6の「マルモッタン」に急いだ。

ところで印象派の美術展ということで、ほぼおばさん方ばかりだと覚悟していったが、意外に中に綺麗な若いおねえさんがいて、しかもすらっと細くて、気品のある、お茶とかお花とか、お琴とかしていて、仕事しないでも食っていけそうな家柄の、セレブっぽい、なんかこう・・・・、まあいいか。そんな女性がいて嬉しかった。

さてモネだが、今更「睡蓮」っと言ってもされど「睡蓮」。料理はオムレツに始まってオムレツに終わるように、美術も「睡蓮」に始まって「ダダ」で終わる。いや「ダダ」で終わっちゃいけない。やっぱ「睡蓮」。

モネは、この睡蓮の作品を43歳の時から40年間も描きつづけたが、晩年になると大ざっぱで、完成されてないようなものが多くなっていく。(目が悪くなったとかそんな理由もあるが)。しかもよく見ると一発描き程度のもではなく何度も手が入っている。なのに完成されない。(でもサインははいっている)

単純に見ると「睡蓮」というモチーフ自体が、上品なので、睡蓮の叙情として伝わるが、やはり表現の中の「塗りの問題」が大きかったのであろう。
その課題は、先に紹介した高階秀爾「イマージュとオブジェ」の表面的図柄と“もの性”の問題のように、イマージュ(この場合睡蓮としての柄)よりも、絵画構造上の「塗り」の問題に多くこだわった。

考えてみれば確かに図柄としてはこの1世紀を経過して様々に変化してきたが(ミニマル以降、80年代は表面的なイマージュ(柄)の変化が目立ったが)、オブジェとしての部分は、100年経っても、いまだ開発の余地があるように思う。
このモネの「睡蓮」が、その“普遍的な未解決”を放っているように思えた。

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