2001.12.03 映画について語る「ハンニバル」

さて、映画の観るのにムラのある僕は、今頃になって「ハンニバル」を観るのだ。この前観た「情熱と冷静のあいだ」とは舞台が同じフィレンツェつながりだし、そろそろ年末で、今年はイタリア年だったから、年越し前にイタリアを見おさめなければならない。(なんて言い訳だ。しかもアメリカ映画だし)
さて僕はこの「ハンニバル」で連想されたのは「ドラえもん」だった。
よく、そのストーリー展開として、同じ「時間を越える」という意味で「ターミネーター」を引き合いに出されるが、そういう「猿の惑星的時間差攻撃」の意味ではない。
問題は「マスク」にある。
よくドラえもんのポケットから出される機械は、過去の機械の応用によって、それが代用できるものがある。タイムマシンひとつ持っていれば、けっこうマルチ対応できるではずなのに、見る人は、その都度新しい機械がでるたびに、それに感心し「あったらいいな」と思う。
しかし実際には、同時に過去のリアリティを消しながら、ストーリーを展開するわけで、作意としては、その前後やリアリティを考えさすことよりも、モチーフの面白さ、強さに集中させる方がいい。それ以外のものをうまくマスクしているわけだ。
「ハンニバル」におけるレクタ−博士の「頭の良さ」なんかは、ドラえもんの機械のように、最初は感心するけど、ちゃんと見ていると「頭の良さ」に最も効果的な操作がなされていて、「→残虐性」に向かって、巧妙に非現実との矛盾を隠すマスクの層を積み重ねてある。層の間には、ものすごく大きい非現実があるのに、人々はいつのまにかこの凶悪犯の「あったらいいな」に集中し、倫理的な判断もあやふやになるほどのイリュージョンを体験している。
その意味で劇中に出てくるマスクはとても象徴的であった。

参考はこのページ
http://www.eigabaka1.com/attraction/making_of_hannibal.html

2001.12.01 映画についてほんとに語る

さて映画の話だ。
しゃくにさわるけど、もののはずみで「冷静と情熱のあいだ」を観にいった。
香港出身のケリー・チャンと所沢出身の竹野内豊のそれだ。
原作は江國香織、辻仁成の話題作らしい。知らないけど。
僕は自分が映画を作る立場ではないのに、その技法(やり口)が気になるようなもの、役者を語る前に、作る立場を意識させるような映画は、あまり上手な映画だとは思えない。北野映画の場合もそう思うが、何か気を使わしてしまうものは、映画として未熟なものとして思う。この映画の場合も、脚本のセリフ回しや構成、音楽の使い方、カメラワークなどが気になってしょうがなかった。無論僕の意識が強いせいもあるが、そんな意識をまったく越える作品もあるから、それに比べて完成度は劣ると思う。とはいえ、ドラマとしてみれば、それなりに楽しめたし、役者の魅力もでていたし、特にカメラワークは、いい意味で抵抗感のある技巧は、映像に説得力があった。
でもどうしても気にかかるところは演出の面の、とくに音楽(「エンヤ」についてはどうでもいいにしろ)の全般に渡って響いている、シベリウスみたいな音楽が、あまりに多用しすぎて、とても平板に感じた。最近の映画のこういう傾向は、この映画に限ったことでもないが、描き込み過ぎた美術大学の卒業制作の絵を見ているようで、僕は辛い。
ところでその日、帰ってから家でビヨークの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」をDVDで観たが、この「冷静〜」とはその演出面でも内容的にも、まるっきり正反対の映画で、そのコントラストが、すさまじかった。この2つを具体的な演出法などを比較しながら考えようと試みるが、その体力と気力は残させない。それほど、後に観たこの映画の疲労感は手強かった。
是非この2本を続けて観ることをお薦めする。できれば順序は逆で。

2001.11.28 映画について語る

映画については,なんとなく人に語りたいもので,みんな映画に行った帰りは,お茶を飲みながら,その映画のおしゃべりなんかをする。でもホームページで、映画について書くことは,それ以外書くことのない何百万もの人が行う行為であって,今さら僕がやるべきことではない。だから、
「僕はホームページで映画のことなんかしゃべったりしてまーす」
なんてこっぱずかしくて、できない。でも逆に
「僕はホームページで,だじゃれのことなんか理屈っぽく書いてまーす」
というよりは、本当はマシかもしれない。
実はこれまで、何度となく映画について語りそうになったが、その都度ブレーキをかけてきた。もともと映画はビデオかDVDが主で、せいぜい月に何本か観る程度だから,こんな邪道な見方で語ってしまっては、本当の映画ファンに失礼なような気がするし、映画の話なんかしたら「こいつもネタがつきたな」と思われるのもしゃくだし、当然、毎日の生活の中で,手軽な話題は,この映画やドラマや小説なのだから,それについて語ることは自然なことだが、なんとなく素直に書くことには抵抗があった。
だから「死ぬまで映画のことは言うまい」と誓おうかと思ったが、それほど大袈裟なことのものでもないし、できるだけ引き延ばして、このように「言うことを拒む」理由なんかを書きつらねて「ただ映画の話をするのでない」という刻印を押しておきたかった。
でここから観た映画について語ろうかと思ったけど、前提を書くだけで疲れてしまった。語るのは今度にしよう。

2001.11.19 同じことを何度も言う

そんなに酔っぱらっていなくても、僕は同じことを何度も言う、らしい。
「そのことは70回きいた」とか、「250回きいた」とか、「650回きいた」とか、その都度、数値を変えてよく言われる。不本意だけれど、何度も言っているのは事実なようだ。無論その数値はいかさまだけれど、その数値のニュアンスで、自分のしつこさの目安として受けとめている。真剣に反省はしないが、これも老化現象かと寂しくなることはある。
でももともと持論としては「忘却力は力である」というのがあって、常に忘却力を駆使しないとやっぱり人間やってられない。むしろそれを操作するところに価値がある。いいデッサンは、より美しく消すところにコツがあり、その「消しゴム」の使い方がポイントで、忘却の消しゴムは、達者な人生のデッサンを描くのに欠かせない。
またそれだけでなく、美の要素の中にレピテーション(反復)というのがあり、これは中学か高校の美術の教科書で習うことだが、同じことを何回も繰り返すことによって美しさを見いだそうとするものがある。僕は同じことを何度もいうことによって、この美しいレピテーションを作り上げようとしている。そう、ちょうどクロード・ヴィアラの「豆みたいな」モチーフが、際限なく繰り返されると同じように。
忘却を繰り返しながら反復する作業として、
「同じことを何度も言うこと」
これはきっと美しいことに違いない。

クロード・ヴィアラ関連ページ
Claude Viallat

http://www.lou-nissart.com/archives/beauxarts/honkong/bio11.html

http://www.mairie-metz.fr:8080/METZ/MUSEES/EXPOS/MUSEES_VIALLAT_OEU.html

2001.11.12 だじゃれ

年齢を加えるごとに、この「だじゃれ」という行為が頭にかけめぐりやすくなる。何か事象があるたびに、この「語句による重層」「言葉のレイヤー化」を、まず頭の中でやってしまう。これはクリエイティブでありながら、自分の老化作用への抵抗として、発想力のトレーニング、あるいはもっといやな言い方をすればリハビリという意味で、頭の中で行っている。明らかに「おやじ化現象」の一部として扱われるが、この症状は若い時にもあって(少なくとも僕は)、問題はそれを最終的に発してしまう、老化による自制中枢の磨耗の方にありそうだ。だから身体の調子が悪いとき、その制御作用が崩れ、頭の中でだじゃれを作ってしまい、放出したがる気持ちを抑えるのに苦しい時がある。咳止めと一緒に「だじゃれ止め」でも飲みたい気分だ。
そんな現象を馬鹿にするものではなく、長い間だじゃれは日本を支えてきた。憶え安さ、語呂といった特徴を持つこの技法は、めで“たい”時に「鯛」を食べるとか、まめまめしく働くということで、正月に黒豆を食べるとか、今考えると「そんな理由で」と思う時もあるが、明らかに「しゃれ」は日本の文化を支えてきたのだ。
だから今だに、コマーシャルを見ても、キャッチは「だしゃれ」のオンパレード。心理学を用いたマーチャンダイジングの方法は、マルチメディアに移行しようとも、この「だじゃれ」が王道なのだ。
それにしても今日は、体調が悪いので、「コーディネート」という語句に頭の中で反応している。
「うっ、苦しい〜。 コーディネートはこうで‥‥。うっ」

2001.11.1 襟(えり)

僕は服に対して保守的だ。 そう感じたのは、もう十数年前、モヒカン頭のパンク野郎と働いていた時だった。その職場は普段は何でもいい服装だった(要するにモヒカン頭も認められていた自由な職場だった)が、年に数回だけ、背広を着てこなくてはいけないことがあった。一番最初にそれを言われた時、パンク男が正直に言った。
「俺セビロ持ってないよ。てゆうか、襟のついたシャツ1枚ももってないよ」
僕が驚いたのは、背広持ってないことよりも、その[襟のついてない服しかない]ことだった。
[洋服≒襟のついたもの]というアカデミックな公式が、長い間つきまとっていた僕にとって、たまに襟のない物もあってはいいが、すべてがそうだとするとかなり問題だった。1枚くらい襟のあるシャツがあってもいいはずだ。ちっちゃくてもいいから。しかしいくら言及しても、確かに彼が着てくる服に襟が付いていた憶えがない。
「パジャマくらい襟ついてるだろ」
といっても、そもそもパンクはそんな甘っちょろいものは着ない。そいつの汚らしい破けたジーパンに、絵の具のついたTシャツ(彼は一応絵も描いていた)は、家に帰ってもそのままの格好でふけるらしい。
考えてみたら、確かに襟なんてセコイものだ。いつも折り曲げていて、いざと言うとき伸ばせれるなんて、その機能を一体何の役に立てるというのだ。一部のポロシャツの襟を立てる種族を除いて、普通の人はそんな襟のいやらしい機能なんか利用しやしない。そんな無駄なものなら最初からない方がよい。
そのパンクはそれほど理屈こきではなかったが、
[シャツは襟がなくてもシャツ]それは[具体的な物が描かれて無くても絵画]
すなわち表現の本質を突き詰めれば、無駄の物は描かなくて良いという抽象絵画の原理を、饒舌に語ってるかのようであった。
僕はしばらくあまりのショックで、着たい服もろくに首を通せなかった。
襟のついてない服を「カットーソー」というが、僕はほんとに葛藤していた。
今着ている服が、襟がないものが多いのは、実はそんな理由からである。
ところで背広の件の後日談だが、
「とりあえず社会人になったんだから、背広くらい買えよ」
と僕は助言してあげたが、結局金がなかったことと、やはりポリシーが合わなかったことから、人のを借りて間に合わせていた。しかしそれを着てきた姿は、笑えるほど似合ってなかったのを憶えている。

2001.10.28 風評

近所に牛骨ラーメンというのがあった。「あった」として過去形なのは、最近、それが軍鶏(しゃも)ラーメンに変わったからだ。
この牛骨ラーメン、味は濃いけれども(だから半ライスはかかせない)、牛骨の香りがかなり特徴的で、好き嫌いははっきりする味だが、その個性的なところがむしろいい。マスコミにも取り上げられていて、確かテレビ東京だか、テレビ朝日だかのラーメン特集にでていた。そんなことが偉いわけでないが、放映直後は、混んでいて「やらしいなあ、このミーハーども」なんて思ったりもしながらも、月2回くらいは行っていただろうか。
その「牛骨」が「軍鶏」に変わった理由は、やはりここのところの狂牛病騒ぎ。確かにあれだけ「ぎゅう、ぎゅう」言ってれば、誰だって遠ざかってしまう、責任はどうあれ。
しかしこの対応は、「これまでの“牛へのこだわり”は何だったの?」と疑問視するほどあまりに素早い身の変わりよう。きけば、一連の騒ぎがあってからは、客はさっぱりで、現実として、そういう策をとりざるをえなかったらしい。さらにこの「風評」は来年4月あたりまで続くと予想され、半年間も継続するとなれば、その切実な死活問題は、確かに節操どころの話ではない。
とはいうものの、事情は分かるが、いたずらにラーメンの価値観を錯綜させてはいけない。店主の劇団あがりのおばさんには、これまでの牛骨ファンを裏切らない程度に、その変革を行ってほしい。
この一連の狂牛騒ぎに、全く遠い世界と思っていたが、意外に芸術の世界に波紋を呼んでいた。なんと僕の「bone(骨)」というテーマに、「狂牛病の騒ぎにより不快感」を指摘する人が現れてしまったのだ。
まったく残念なことだ。そのつもりもないのに‥‥。
よって僕もこの風評に立ち向かわなければならなかった。
考えた末、次のよう思いついた。

あの骨は“鶏の骨”だった。
‥‥あほらし。

2001.10.24 サンダー使えば煙が立つ

先日、小耳に、我が金沢のローカルニュースが入ってきた。 同時テロを題材とした彫刻に関するニュースだ。NYビルに突っ込む彫刻を作って物議をかもし出しているという。
作者はその作品を一度展示したが「作品の意味を曲解されると不本意」として、展示初日に自ら撤去した。
地方では2日間に渡ってこれをトピックスとして大きく取り上げたが、 全国的には特に波紋は呼ばなかった。 残念でしたね、北國新聞さん。
さっそく友人にその記事を送ってもらったのがこの内容。

 

要求した手前、コメントするハメになってしまった。(以下そのそれ)

「サンダー使えば煙が立つ」
これは、かの文麿氏がいった言葉だ。といっても文麿というのは、僕の別の名前なのだけれども。
この言葉の意味は[電動工具であるサンダー(一般にはグラインダー)は、激しい音で、石やコンクリートを切り刻む危険な道具であるが、その騒音もさることながら、使う際に激しい粉塵の煙を伴い、防塵マスクを着けないととても健康を害する]転じて[激しいことをすると、それなりの大きな代償が自分にふりかかる]という戒めの言葉だ。
この言葉をそっくり、出品者の彼に言い渡したい。
そのような激しいテーマは、それなりの整理と覚悟が必要で、衝動的な操作だけでは、思惑とは違う捉え方もありえるわけで、予めそこを考えていることが、責任である。その意味でまったく準備不足で、さっきの言葉でいえば「煙がたつ」ことを考えていない。日頃から大理石や御影石をサンダーで切り刻んでいいるのに、ちゃんと「煙」に対応する防塵マスクや保護メガネを着けることくらい分かってるはずなのに。
反響に対する対応は、まさにそれを物語っており、残念ながら芸術の名を語るほど、彼の認識は及んではいない。(マスコミが追求する程でもない)
もっとも地方のちっぽけな展覧会で、そんな波紋を呼ぶとは思ってなかっただろうけれど、むしろ地方のマスコミこそ、そういうネタにめざといのかもしれない。お気の毒に。
でもほんとは丸木位里の「原爆の図」やゲルニカを例に出しながら弁護しようと思ったけれど、正直いって、その例がもったいないくらい作品がしょぼいので、言う気をなくした。悪いけど。

2001.10.19 【酒メモ-3】シャンパンとシャンパンもどき

家の近所のおぎはら酒店は、奥さんがソムリエで、暇なときにはつい立ち話をしてしまう。つい長くなって、夕食が遅れて家族に顰蹙をかうことがよくある。今日もすぐ戻るといって出かけて、遅くなってまた怒られてしまった。今日長くなった話は、例のシャンパンとCAVAについてのこと。
知り合いに、前々回の『シャンパンもどきのすゝめ』において「あなたの立場上、某国を“心の狭い国”呼ばわりしてはまずいんではないか」と指摘されていて、いや決してシャンパーニュ地方を持つ某国を毛嫌いしている訳ではなく、むしろ核実験のことを除けば尊敬する国なのだが、その本意をいずれ機会に伝えるつもりで、そのタイミングを見計らっていた。ちょうど今回はそのソムリエの奥さんとシャンパンの話題となり、それを取り繕うチャンスができた。
さっそくその国の尊厳を取りもどすべく、その内容であった[シャンパンがいかに優れているか]について、ソムリエの奥さんに伺ったことをCAVAを対比しながら報告したい。

1)まずぶどう品種の違い。
シャンパン:[黒葡萄]ピノ・ノワール、ピノ・ムニエ[白葡萄]シャルドネ
の3種に限定しているのに対し、
CAVA:パレジャーダ、マカベオ、シャルドネetc.
と一定していないので、その(ボデガ)ワイナリーによって、ばらつきがある。
でもそれは、まずいかもしれないし、逆にすごく旨いかもしれない。
2)次ぎに貯蔵期間。
シャンパーニュは6カ月(?うる憶え)以上で、決まっているそうで、CAVAは短く、3ヶ月くらいで出荷してしまうものが多い。
本来馴染む期間が必要だとのこと。
CAVAにもちゃんと熟成期間を考慮するものもあることはある。
3)圧力
気圧が、シャンパーニュは6気圧と決められている。
その他はそれほどきっちり決められてはいない(かもしれない)とのこと。

このほかにいろいろ違いはあるが、大きなことは、シャンパーニュはその品質を“国をはって”守ろうとしているところで、その規律はものすごく厳しい。
もともとフランスは農業国で、シャンパーニュにしてもコニャックにしても、その税収が国家を支える大きな柱となっている。そのために管理が厳しくなり、さらに「文化」ということをとても大事にする国なので、特に歴史的な品目を厳重に扱っている。だからこそシャンパーニュの銘柄を必要以上に守ろうとし、意固地になって“心が狭く”なるわけだ。
そんなフランスの文化に対してや、食品に対しての品質管理の厳格な態度に、
「一連の狂牛病の扱いにうだうだしている、どこかの国の大臣たちに見習ってほしいね」
などと、シャンパンから狂牛病へと時事問題に展開したところで、立ち話はお開き。
「それじゃ、また」
とそんな話をしておきながら、ビール1本(大瓶)だけ買って帰った。

2001.10.16  新穂高にて (10.6)

新穂高から見る北アルプスは,紅葉が赤や黄色の秋の風情に彩られ、思わず風景画でも描いてしまいそうになったが、それは専門外なので、ひとまず描くことはやめた。
同じ山岳地帯のアフガニスタンに比べ,それは低画質のテレビ映像だけではあるけれど、ここの自然がなんと恵まれたものなのか,干ばつによる灰色じみた土色の,緑の少ない地域を考えると、この贅沢な色どりが、とても後ろめたく感じる。
展望台から、双眼鏡で覗く槍ヶ岳の頂上の人は,明らかにターバンを巻いた人たちではなく、赤いザックを担いだこの山を制覇した登山者の人たち。ほんとは過酷な山登りで、疲労感があるはずなのに、その姿はのんびりとしたピクニックほどに見えてしまう。
標高2700メートル地点から平行して見る,山々のおりなす巨大な地球規模の量感が,そのような人間の姿を蟻ほどにまで縮小して、その存在を伝えている。
しかし、宿に帰ってテレビの映像でみる、アメリカの爆撃機からの俯瞰は、月面と錯覚するほど無愛想な灰色で、そこには蟻ほどの人間の存在すら見えてはこない。

2001.10.13  理屈っぽい

「理屈っぽい」 この言葉を何度言われたことだろう。
これは明らかに誉め言葉ではない。理論派ではなく理屈っぽいと言われることとは,ちゃんとした言葉を言いたいが,的確な語句を探っているうちに、つい長たらしく文語を並べたててしまい、必要以上に難解にしてしまう、似非インテリジェンスな傾向のことをいう。
とはいえ小学校の頃に、ある理不尽さを説明する際に、
「亀田くんは,理屈っぽすぎる。そういうのを屁理屈と言うんだ」
などと先生に言われたことは、今思い出して腹が立ってきた。
確かにおぼつかなくて、説明としては長く、じれったいものになっていたかもしれないが、せっかく人が説明しているのに、ちゃんと理解しようとせずに、じゃまくさがって「屁理屈」として処理されたことは、少年時代の僕にとってひどく傷つけられた。
そもそも日本人には「言い訳」は悪徳であるらしく、弁解などみっともないとする(おそらく)儒教的な教えがある。言い訳的に論じることは女々しく、ましてそれにくどくど説明を加える理屈は「男らしくない」と性的基準を設けて言い放たれてしまう。だからたとえ理不尽な出来事があっても、深く追求する邪心を抑え、黙ってそれを飲み込むこんで「泣き寝入り」することこそがこの国では美徳とされる。
でも僕は「泣き寝入り」することがとても嫌いなので、ついつい油断して理屈っぽいことを言ってしまい、差別をうけてしまう。
まったくいやな世の中だ。

2001.10.1 長嶋茂雄の退陣

「〜っと同時に」「〜並びにですね」という語句が、間をつなげる事はわかるが、日本語の文型に一致しているのか、長嶋氏の挨拶とインタビューをよく聴いてみた。やっぱり文型的につながらないことの方が多かった。今の若者の「ってゆ〜か」の長嶋版なのだろう。大人の日本語の常套句の装いを、この人はとても好きなようであるが、まあその手のことは、十分語り尽くされているからよろしいとしましょう。
[ひとつの時代が終わった]というのは、皆が言ってるとおり、そのとおりだと思う。メディアができて半世紀以上。これまでのメディアは彼と一緒に育んできた。そして彼をヒーローとして作り上げた。しかしその成熟とともに、長嶋と巨人の存在が問われる時代となった。情報革命や様々の変化を目の当たりとして、ますますそれが危うくなる。どこまでそれを彼が意識したか分からないが、年齢だけではなく、どこか時代の中の存在意義を見計らいながらの決意なのだろう。そのしなやかな身の引き加減は、見事だと思う。 しかしちょっと意地悪な見方をすれば、彼がいて巨人が衰退していくよりも、次期監督に引き継いだ方が、よりスムーズに進行しやすい。大橋巨泉の助言でもあったのだろうか。

2001.9.28 【酒メモ-2】 ドン・ペリニョンと菊姫

酒の本は沢山あるが、できれば酒を飲むことに,本などは見たくない。なぜなら自分の主観を大切にしたいからだ。少年はロックを聴くとき,すぐに体系化し,そのルーツを探ってクリームやジミヘンなどを聴く。それは自分の感性よりも,文献が先行され,歴史的権威の上塗りだけに終始する危険がある。僕も少年の頃,そのような「なまじ音楽史」の小さな学者の自分をみた。感受性よりも文献が主体になると、予め決められたものしか認められなくなり、 そこから画一化が始まる。鑑賞者としての自由を奪い、時として感受性にとても有害なものとなる。僕はあとで少年時代のそれを振り返って、その不自由さを悔やんだ。しかし‥‥
本をみるデメリット→酒飲みに拍車がかかってしまう→不健康な日→躊躇→どうしても年代が知りたい→悩んだ→とうとう酒の本を買ってしまった。
ということで早速、以前も書いたシャンパンについて調べてみた。
それはいったいいつ頃できたものだろう。その代表格であるドン・ペリニョンが、修道院の酒庫係に任命されたのが1668年(正確には彼が最初であるかわからないが)、シャンパンがほぼ完成されたとされるのがこの時期らしい。日本でいうと江戸前期あたり。ここで引き合いに出したいのがクラシック音楽で、およそそう呼ばれる音楽が完成されたのはバロック期。(その前にビバルディなんかもいるが、主に即興音楽が中心だったらしい。)その音楽の父と称されるバッハが生まれたのが1685年。1オクターブを12音階で分解された平均律を使い、ほぼ現代の音理で創作し始めて300有余年ということなる。「クラシックなんてたかが300年の歴史じゃないか」と僕はいつも思ってるが、これに同調しないにしても、時期はこれとほぼ同じくらいということになる。
一方日本の場合、我が愛する石川の酒「菊姫」が創業されたのは天正年間(1573〜1592年)、加賀の菊酒として秀吉に献上していた酒は、それより1世紀も前である。時代で言えば、ベートーベンよりも、シューベルトよりも、ウオルフガング・アマデウス・モーツアルトよりも、この菊姫の方が古いということになる。やはり年代で探ると思わぬものが発見できる。
ところで僕が菊姫の愛するところは、最近の地酒の淡麗辛口主流の中、この歴史的な濃厚な味を守っていることだ。その濃厚な味には偉大な音楽史と同じく、壮大な時代のスケール感を感じる。これまで、山廃吟醸、純米酒、原酒、にごり酒、3万円もする大吟醸を含め、風呂釜2杯分は飲んできた。死ぬまでに5杯は飲んでやる。
この菊姫やドン・ペリが作られて400年間、バロック音楽が生まれ、ロマン派が生まれ、鎖国があり、フランス革命があり、文明開化があった。世界戦争もあった。そして今も色々起きている。
イスラムの方々には悪いが、節操無く文化を引き入れるこの国で、幸運なのはこれらの酒を思いっきり飲めることだ。

 

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