2005.10.25 【大きな音】

僕は週に300kmほど車に乗る。
車の中では絵を描くことも、本を読むことも、得意なタップダンスもすることができないので、音楽を聴いたりする。
たまに歌うこともある。。。わあ〜〜〜〜〜っと。

とても大きなボリュームで、車がモコモコいっている時がある。
とは言えそれほどむちゃくちゃなスピーカーつけてはないし、住宅街ではそれなりに気を遣う。節度をもってのことだ。

ここで気をつけるのはその時に漏れる曲。
勝手に鳴らせばいいのだが、例えば佐野元春の「ガラスのジェネレーション」をかけてたらまずい。そういうのが好きな人に思われてしまう。
ユーミンやサザンでも恥ずかしい。チャゲ&飛鳥ならもっといけない。
意図せずラジオを鳴らしていて、そんな曲が流れてきたら小さくする。
恥ずかしいから。
そこにはちょっとした見栄が存在するのだ。

と言って意味のわからないラップは無意味だ。そこらの頭の悪い若者じゃあるまいし。
聖子ちゃんはどうだろう。
昔はいたな、そんなバカモノ。

僕はオペラを鳴らす。
ネッスン、ドル〜〜マ〜〜〜

やっぱり迷惑か。

 

2005.10.18 【ロッテ優勝で見た民放】

また野球の話題。芸術家は野球が好きである。
ロッテ優勝おめでとう!
ボビー、おめでとう!

ところで、この優勝決定戦の放送が17% という視聴率だった。
この中継をやっていたのが他でもない、テレビ東京。
そしてこんな記事。

プレーオフ第5戦17% テレ東に感謝の声(スポニチ)

以前も書いたが、
<巨人戦の視聴率=野球低迷>ではない。
すなわち<野球好き=巨人ファン>ではないことを証明したのだ。
これは民放(テレビ東京以外)の一律巨人中心野球主義の露呈である。
まったく大手の民放は恥ずべきだ。
今日は冗談抜きでそれを訴えたい。

初芝君、最後までみてるよ。

 

2005.10.14 【女子高生の笑い】

昔松本伊代が「らっきょがころがるんですもん」と言って笑いころげているコマーシャルがあった。
何がそんなにおかしいのか、信じられないほど10代の女子高生はよく笑う。
いや冗談にならないほど、頭にくる笑い方をする女子高生がいる。
ギャハハハハ

かといって、
「わらうな、ボケ、カス、ブス!」
と直接言う勇気もない。
そのまま聞かないふりをして泣き寝入りするのが通常の僕である。
なぜなら積極的にでてバカをみるのは自分だからである。そう、大人は卑怯者なのだ。

しかしそういう女子高生も年をとるにつれ、あまり笑わなくなる。いつもきゃあきゃあいって笑っていた女子高生も、いつか笑っていられない時期がくる。
それは失恋であったり、挫折であったり、子育ての悩みであったり、離婚であったり、借金苦であったり・・・・・。
事実、杉田かおるはそんなに笑わないではないか。

時々電車で大はしゃぎしている女子高生をみて、
「いつか笑っていられなくなるぞ。フフフフ」
と心でつぶやく喪黒福造みたいな自分を見る。

 

2005.10.11 【ポケットティッシュ】

一口に「ファンク」といってもジェームス・ブラウンで始まってPファンクなどいろいろある。
中でも正統なファンクとして「タワー・オブ・パワー」が今でも根強い人気だ。

昨日もBSのアマチュアバンドの番組で「日本海パワーズ」というバンドがこれのコピーしていた。
“バフバフ”というバリトンサックスが素敵、とゲストのグッチ裕三も誉めていた。

同じようなもので「ルーファス」や「アベレージ・ホワイトバンド」などがあるが、特に「アベレージ・ホワイトバンド」の[cut the cakes]という曲が特徴的で素敵。
これは文字通り“ケーキを切る”という[cut the cakes]を音楽表現をうまくファンクのリズムに乗せている。
cut the cakes
ah ha〜 cut the cakesah ha〜

それで今日考えたのは、そういった“ノリ”として“ポケットティッシュ”。

ポケットティッシュ、ポケットティッシュ、ポケットティッシュ、
なんとなく「タワー・オブ・パワー」のリズムに似てないか。

いやいや、
ポケットティッシュ、ポケットティッシュ、ポケットティッシュ、
「スライ&ファミリーストーン」の[Family Affair]にもきこえてきた。

 

2005.9.29 【JFK】

今年の阪神は強かった。今日にでも優勝が決まりそうである。
と、また野球の話だが許して欲しい。本来芸術家は野球が好きなものなのだ。

この阪神の強かった理由に投手陣の活躍がある。それも先発だけではなく、試合を決定づける後半の投手陣の流れ、いわゆるJFK=J;ウイリアムス、F;藤川、K;久保田が注目されている。

近代野球では、このセットアッパーからクローザーまでの流れをどう持つか、それが鍵であって、いかにこの流れを作るかが監督の手腕と言える。
例えば強いときのヤクルトであれば【→五十嵐→高津】、中日であれば【→岩瀬→落合】、メジャーリーグではヤンキースの【→ゴードン→リベラ】。今年は多少不安さもありながらも健在である。それゆえ毎年いいパターンが保てるかが課題であり、毎年この“勝つ方程式”を見つけだしたチームこそ、栄冠をものにできるのである。

話を戻すが、この阪神のJFK、苦労人として藤川が注目されている。
そもそも投手として、最初からセットアッパー志望というのは少なく、先発投手から挫折→復帰という中からこの仕事を見いだしていく。勝ち星がついたりセーブポイントがつく訳でないこの役割に、様々な心の動きがあって、そのしぶ〜い姿に野球ファンは感動するのだ。

またさらに“K”、クローザーとしての久保田君にも注目したい。
なぜ“久保田君”というかというと、実は僕の個人的にまつわるところにある。

彼は埼玉県滑川高校出身、甲子園で活躍した。確か3回戦まで進んだと思う。
もともと有名な高校ではないのに、まして僕は本来高校野球を観ないのになぜそんなに憶えているかといいば、実は僕の義理の父がこの滑川高校の教師をしていて、ちょうど甲子園に出場した年に亡くなっていたからだ。

義父は特に野球部関係の人ではなかったが、連中に多少活を入れた(勿論暴力ではないはず)らしい。
それゆえ亡くなってから、ナインから「先生の尽力のお陰です」という言葉の入ったボールが送られた。
そして今でもそのボールが仏壇の前に飾られている。

そういった中のメンバーの一人が久保田君。 当時正捕手でありクローザーであった。
で聞き捨てならないのがこの“正捕手でありクローザー”というところ。

この埼玉県比企郡滑川町にある弱小チームは、ひかえの投手ではなく、先発投手が試合を作り、最後になるとキャッチャーがマウンドに立ち上がり“締める”というパターンのチーム。
正直試合を観ていて笑ってしまったが、そのマウンドに立ち上がる凛々しいキャッチャーこそ、久保田君だったのだ。

確かに久保田君は迫力があった。思わず佐々木投手を思わす風格だ。
「いやあ、佐々木みたいだね」
思わずもらしたのがこの言葉だった。
今からこう言うのはいやらしいが、 彼は絶対にプロの世界で成功する逸材だと感じた(笑)。

・・・と書いている間に阪神は優勝を決めてしまった。
やはり最後もJFKだった。
久保田君、最後ちょっと打たれたれど、、、。

そんなわけで阪神優勝おめでとう。
とにかく今後の日本プロ野球を引っ張っていくのは久保田君!、君だからね。

 

2005.9.15 【杉本博司を知っていますか?_BRUTUS】

最近野球やカラオケの話が多いが、僕は芸術家なので、やはりゲージツの話をしよう。

芸術の世界が、ベネチア・ビエンナーレなんかでも、最近は絵画や彫刻主体から映像や写真にとって代わられた感が強い。まあ、こんな今の時代に油絵ひとつ、木版画ひとつで世界を制覇しようという時代はとっくに終わっている。

そういう中、今一番ホットな芸術写真作家として杉本博司を今月のBRUTUSで取り上げている。
確かにこういう写真芸術ももっともっとポピュラーにならなければならない。いつまでも篠山紀信のグラビア写真で、鼻の下を伸ばしている時代ではない。

このBRUTASの杉本博司特集、編集がなかなか面白い。
『ここはBT美術手帖じゃないんだから』なんて記事もあって、BTをけん制しているようなそぶり(対して最近BTが美術専門誌的でない特集が多いのをわかっていてか)があったり、杉本博司の生の人間性が伝わるような経歴の書き方だったり、さすがメジャー誌はエンターテイメントに優れている。

とは言え彼の制作理論や専門的評価をちゃんと押さえているし、これじゃ¥1500以上もする美術手帖は売れないのは当然である。(売れてないのかどうか知らないが。。)

さてその特集内容の中で気になったのは、杉本が平安古美術コレクターであること。
裏返して言えば、今の現代美術にまったく興味がないことである。
その部分抜き出してみよう。

なぜ古美術に惹かれるのか。深い信仰心を糧に、一切手抜きをせず、技術の限りを尽くして作られたものには、存在としての強さや、意図はしなくとも、自らにじみ出てくる表現は備わっている。皮相的な時代表現や、ダダ漏れの薄っぺらい自我を売りものにする「現代美術」が逆立ちしてもかなうはずがない(BRUTUS記事)

まあな。

 

2005.9.13 【ナックル・ボール】

僕はこう見えても(見えてないだろうけれども)、昔投手だった。
と言っても中学の野球部の時だけれど。

僕の武器は120kmのストレート(当時球速計はなかったけれど、大学の時バッティングセンターで計ったらそのくらいだった。多分それくらいはでていただろう、きっと)それとカーブ、そして魔球「ナックル」だった。

ナックルと言えば、ボールを親指と小指で支え、残りの指で押し出すように投げる球。通常投げるボールの回転を抑え、静止したまま軌道して落ちるものだ。
現在ウェークフィールド投手(レッドソックス)がこれの名手として有名だが、昨日の試合でも、ヤンキースの松井が随分手こずっている。
なんとその魔球を、実は僕は30年近く前に投げていたのだ。

ところでこの魔球は投げ方はとても難しい。押し出して投げるのだから、砲丸投げのような投げ方になってしまう。そしてさらに問題なのは、コントロールしにくいところ。

ただでさえコントロールに難のある僕は、実際試合で使ってみて、なかなか思うように決まらない。ストライクゾーンに入らないのだ。いや入らなくてもいいだけど、いいところにいかない。少し低めだとワンバウンドしてキャッチャー(渋谷君)が取りこぼしてしまう。

でも落ちた。か〜な〜り落ちた。全盛期の野茂のフォーク以上に落ちた、はずである。
今考えるとキャッチャー(渋谷君)が、後ろに取りこぼさず、上手に捕球していたら、もう少し僕の投手時代の防御率も上がっていたのに。(と渋谷君のせいにする)

いずれにせよ、一回オフにでも松井選手と僕のナックルで対決したいものだ。
ま、打てないと思うけどね。。。。

 


2005.9.8 【裏 声】

な〜〜〜つのお〜〜〜わ〜〜〜ひ〜〜

森山直太朗の唄が始まったら夏も終わりである。
と言っても、もうとっくに秋だ。
9月だもの。
すでにキリンの秋味もケースで買い占めてる。

ところで森山直太朗と言えば、裏声と普通の声の行き来が特徴である。
今の日本の歌手の多くは、これが決め手。大御所・小林幸子もこの声の裏表の歌い方が絶妙である。

む〜〜り〜〜〜して〜〜、のん〜〜んじゃ、
い〜〜け(え)な〜(あ)い〜〜(い)と〜(お)〜〜

《()は裏声》

裏声といえば、すなわちファルセット・ヴォイス。
あちらの方では、有名なところでスモーキー・ロビンソン、スタイリスティックス、EW&Fのフィリップ・ベイリーってところか。
僕も、カラオケで、スタイリスティックスの「誓い(You Make MeFeel Brand New)」を裏声でよく歌う。

ユウ〜〜〜〜〜・・・、ユ〜メイクミー、ブラ〜〜ア〜ンニュっ!

まあ受けようがどうしようが知らない。勝手に歌わせてくれ。

ところで日本ではこのようなファルセットの「裏声専門」の歌手はいない。
表裏の“行き来”型歌唱法は多いが、専門家はいないのである。

きくところによると、外国ではいかに裏声が出せるかが《男らしさ》の表現であると言う(ハワイとか)。
そんな文化の違いなのかもしれない。

ところでマーヴィン・ゲイの裏声が好きである。
おっと、ハード・ゲイ(HG)じゃないよ。

 

2005.9.4 【プロ野球のスパイス】

立ち上がり、なかなかぴりっとしません。
何なんだろう“ぴりっ”って。
やっぱり野球にもスパイスが必要なのだろうか。

さて野球は巨人戦の視聴率が下がる一方で、人気が低迷していると言われている。テレビ局も延長打ち切りとか、ひどい始末である。
まあ別に巨人の視聴率が下がることはどうでもいいが、野球人気自体がなくなってしまうことは残念だ。

実際のところ、北海道での日本ハムは人気が高まっているし、阪神は相変わらず好調。名古屋の視聴率も上がっている(勿論勝っていれば当たり前だろうけど)。よって巨人戦の視聴率=野球人気低迷とは言いづらい。
またメジャーリーグ人気は年々高まる一方で、中継の球場のベタな日本語看板の量がそれを表してる。(ダンディ・ハウスとか)

こんな中、巨人が巻き返しをはかるために、星野仙一氏がこのチームの監督にという声が高まっている。これが本当になればサプライズな“逆外様大名”構想だ。

確かに今の巨人こそ、スパイスが必要かもしれない。
だが、たとえ星野氏になってもでも野村克也氏になったとしても、その場の人気取りばかりでは変わらない。
今までのような他のチームから金で買ってきて食い殺すようなチームでは反感を買ってしまうし、それでいて勝てなければ、なおさら観る気もしない。
そしてさらに問題なのは対巨人だけの放映で飯を食うテレビ局の体制。
この視聴率とスポンサーのなかでビクビクしながら番組をつくっているのでは何も変わらない。

いっそ国営放送のみにしてしまった方がいいのではないか。
その方がもっとゆっくり野球が楽しめるかもしれない。(実際大リーグ中継の方がよっぽどゆっくり見れる)

まさに今のプロ野球では“民営”体制が息切れし、良くない点が浮き彫りになってるのではないか。
さあ、選挙にいきましょう。

 

2005.8.29 【納豆のたれは使わない】

昔桃井かおりの映画で「もう頬杖はつかない」という映画があったが、今日は「もう納豆のたれは使わない」という話。
そもそも「○○のたれ」というのがあって、「うなぎのたれ」とか、「やきとりのたれ」とか、商品を買うとその素材の応じたたれが用意されている。人はその切迫感で、さほど必要のないのに多くたれをかけてすぎてしまう。そこが落とし穴なのだ。

違う例を出せば、幕の内弁当の場合、必ず小さな醤油とソースがつけられていて、どこにかけるか迷いながら、つい必要もない、しょっぱい塩鮭にさらに醤油をかけてしまう。さらにしょっぱくなって、いや〜な気持ちで弁当を食べなくてはならない。
だから僕は食品についているものについてどうも不信感を描くのだ。

ましてや納豆のたれなんて、かつおたら風味をつけているが、一体あの味が標準でいいのか。人は美味しいと思っているのだろうか。
残念ながら僕は美味しいと思ったことはない。よっぽど醤油のほうがパンチがあっていいのではないか。ただでさえ実家から取り寄せた“マイ醤油”ご愛用だから、中途半端な醤油かダシ汁かわからないものより、この醤油で十分だ。

従ってついている納豆のたれはすぐにゴミ箱行きとなる。つまり否応なく“地球に優しくない行動”をとってしまうのだ。それに罪悪感さえ感じてしまうから始末が悪い。

さらにさらに、納豆のたれの小さな袋を開くとき、つい失敗してしまうケースが多い。大の大人が小さな納豆のたれの袋を開いている姿、さらに失敗したりして手がべちょべちょのねばねば。

もう納豆のたれなんていらない。

 

2005.8.24 【4周年】

最近忙しくて更新してなかった。ちゃんと見てくれている人もいるのにさぼってました。
ごめんなさい。

【ウイー・ウイル・ロック・ユー】

ドンドンチャッ・・ドンドンチャッ・・ドンドンチャッ・・
クイーンの中でも有名な「ウイー・ウイル・ロック・ユー」。
「ウィ〜〜〜ア〜〜〜ザ、チャンピヨ〜ン」とともに、これらが入ったアルバム「世界に捧ぐ」は、今ではクイーンを代表するものになった。

この「世界に捧ぐ」という“レコード”を、中学3年の時、隣町の“レコード屋”「メロディ・ハウス」で“予約”して買った。
“予約して”買うなんてことは、今ではしなくなったが(3月に待ちに待ったマーカス・ミラーの何年ぶりかのニューアルバムを、最近ようやく手に入れたほど。)、少年の僕にとって、それは発売期日になるまで、ものすごく待ちどおしかった。

その前のアルバム「華麗なるレース」や「オペラ座の夜」を聴いてきて、今度はどんな劇的世界なのか、どんなドラマチックなものかと期待をしていたが、家に帰って聴いてびっくり、
ドンドンチャッ!
である。
なんだ!このタイコと手拍子!
これでロックなのか!

それから25年(?)、今はどうだろう。
今ではミュージカルにもなってる。ヤンキースの試合にも鳴っている。

完全な歴史的なものとして刻まれた。

重要なのはその“予約して買った”時の体験。
このリアルタイムの第一印象の体験を大切に思いたい。

 

2005.7.18 【トチ板】

前回一枚板の話をしたが、結局「会津杉」ではなく、トチ板(2000×900×63)に落ち着いた。
杉板は、確かに線が軽妙で、鮮やかな魅力を持つが、やっぱり杉の持つイメージの軽さ(勿論育ちが遅い重くて丈夫な杉もあるが・・)が邪魔していた。
では、それ以外では何かというと、重くて丈夫な楓か、ケヤキ、銀杏、センってところ。
でもここはやっぱり“モコモコ”なトチの木だ。
それが最も自分らしいと思った。

正直言って、トチの木はリスクのある木だと思う。
杢はダイナミックだけれど、ワレや穴も多い。
だから普通は“ふ”の綺麗な、無難なニレやタモが選ばれやすい。
だから例えばJAZZで「キース・ジャレット」を聴く人はトチ板を選ばないし、
また日本酒で「八海山」や「越の寒梅」を飲む人はトチ板を選ばないと思う。

要はすっきり“ライト感覚”(この言い方も古いが)の人はこれを選ばないが、
濃厚な「マッコイ・タイナー」の演奏や、「菊姫」の“濃い口”が好きな者こそ、このトチ板を選ぶような気がするのだ。

またトチ板と言えばトラ柄のような“縮み杢”を有する。
それが多いものが珍重されるのだが、この板はそれほど目立たないが、微妙にそれがあるのも魅力。

本日木材屋に脚のデザインで、ちょっとした“トラブル”があったが、まあそれもよしとしよう。
うれしくも今週中にトチ一枚板テーブルが届く。

 

2005.6.30 【一枚板】

テーブルが欲しくなった。
やはりテーブルは“一枚板”だ。
そうに決まっている。

そもそも“一枚板”以外はテーブルではない。
“一枚板”でなければ、地べたで飯をくってもいい。

ここ3カ月、“銘木”と看板のついた材木屋はたいてい覗いている。
勿論インターネットも。

でもなかなか材質と大きさ、値段が一致するものに出会わない。
良いモノ出れば高いし、薄っぺらなものであれば安いし。。。。

そういう中、今日ちょっと面白いモノとであった。

「会津杉」(2000mm×900mm×厚さ100mm)

もともと『杉』はそんなに好きではない。
木目はダイナミックだけど、なんか軽い感じがしていた。

タモとか檜とか、メープルとか、銀杏とか、細かなのがいいのだが、するとなかなか大きいのがない。
ある程度の大きさだと、2枚合わせになってしまう。
それだと僕的には価値がない。

今日みたのはおそらく樹齢200年くらい。
なによりも大きさがある。しかも“厚さ”がある。
“100mm”の厚さのものはそうもない。

一枚板にこだわるならこの辺の密度のある“みちのく”の『杉』がちょうどいいかも。

う〜〜ん。
もうちょっと考えたい。
ある意味財産となりえるモノだと思うから。。

note15
note14
note13

note12
note11
note10
note09

note08
note07
note06
note05
note04
note03
note02
note01