2004.11.11 【面白い】

多分昔から、芸術作品の誉め言葉は“面白い”である。
「この前の展覧会、なかなか面白かったよ。」
これは面白くて笑ったという意味ではなく、ほぼ“よかった”という意味だ。
「いやあ、あれはおっかしくて笑ったよ。ははは。。。。でも、つまらなかった。」
というのはあまりない。

たいていの場合、それがたとえ悲しい映画だとしても、良ければ“面白い”と表するのが普通だ。
しかしここで、そういうふうに“面白い”と簡単に表現し辛い映画がある。
タランティーノの映画だ。

多分それが策略だろうが、手法は関心するほど凝っていて退屈しないが、よくよく考えてみると、内容的には随分とナンセンス、まじめに作っているようで、実はその表層的なテクニックの裏にある“笑い”でみせる映画なのだ。

これは本来の“面白い”と結論づける映画とチョット違っていて、ちょうど「北斗の拳」がシリアスなドラマのようで、実はとても大笑いするようなものとか、あるいはまた「ステュワーデス物語」の堀ちえみのセリフが、“欽ちゃんのギャグほどの威力”を持つのと同様に、次元の違う“面白さの二重構造”をもつものだ。

実は僕自身もそういうところがあって、この文章も本当にまじめに書いてるようで、実は不まじめな“言い回し”に酔ってるところがあって、本質の表現とは別の“遊び”を楽しんでいるのかもしれない。

ところで、とてもピンポイントではあるが、「キル・ビル」のクインシー・ジョーンズの「鬼警部アイアンサイド」の鳴るところは多分“笑うところ”である。

 

2004.11.7 【熊谷改造計画2】

以前(note11 にて【熊谷改造計画】)紹介した熊谷なのだが、“運河をつくる”のは大規模すぎて難しいというので諦めた。人間諦めが肝心だ。
なので、もう少し現実的に実現できるものとして、こんなことを考えてみた。
提案:熊谷「水の祭典・レインボープロジェクト」!
「打ち水」をして虹を作ろう!
どうだ!

まず、この計画に、関心をもってもらうために、イベントとして「水の祭典」を催す。「水」をテーマとするロック・イベントだ。
まず最初にディープ・パープルの「スモーク・オンザ・ウオーター」!
スモ〜〜〜ク・オンザ・ウオ〜〜ラ〜〜〜〜〜〜
久々のイアン・ギラン!
あっリッチー・ブラックモアも。
そうだ「レインボー」も忘れちゃいけない!

次にボーイズIIメンの「ウオーター・ランズ・ドライ」!
う〜ん。いい。しっとり。女性たちのつかみもOK!

そして、メイン・イベント!
熊谷の異常なる夏場の高温のために、町中に大型の噴水やスプリンクラーを設置して、大規模な「虹」を発生させるのだ。

「オーバー・ザ・レインボー」をダイナ・ショア(生きてたっけ?)が歌う!

その後、整備された「打ち水システム」を、気温を安定化させることに使用していき、熊谷の気温安定化に役立てるというわけだ。ははは。

えっ、スポンサー?
勿論、球団立ち上げに失敗したライブドアにきまってるじゃないか!

 

2004.10.25 【ルーベンスと藤原紀香】

ピーター・ポール・ルーベンスは偉大だと思う。
美術史の中でもこのバロックの巨人は突出している。
特にルーブル美術館『メディチの間』での21面の大作群は、これだけでその他の歴史的な画家を遠ざけるくらい偉大な仕事だと思う。これに比べればダビットの絵なんて“へ”に思うほど。

僕は21歳の頃、この大作群の前で『フランダースの犬』のネロのように、しばし圧倒された。
中でも最も有名で、気になるのがこの「マリーのマルセイユ上陸」だ。

フィレンツェのメディチ家出身、ブルボン王朝アンリ4世の妃となるマリーの波瀾の生涯の一部を写したもので、“笑うほど”ドラマチックに表現されている。
ところで気になるのが、下の方に描いてある裸婦三人。
なんでこんなところに人間がいるの、しかも裸で?

答えはこれはニンフであり(ニンフとはギリシャ神話にでてくる精霊)、この場合《海》の象徴なのだ。
つまり、
《ニンフ=母なる海》
という“比喩”。

まあ画家本人としては、
「ここはやっぱニンフだな」とか
「ここにいっちょ天使飛ばしてみるか」
などと喜んでやっていたのかもしれないが、この圧倒的な比喩効果を、当時の教養のある人は何のためらいもなく受け入れたという。

さてここで問題にする“比喩効果”なのであるが、これに最近これに近い表現がCMにあることに気づいた。
レオパレスのCMである。
(もしかして関東圏内だけかもしれないが)

「今レオパレスの部屋を借りると藤原紀香がついてくる」

えっ、ほんと? と真に受ける者はいない(頭の悪いガキは別として)。
この場合、
《藤原紀香=美しい又は心地のいいもの又はよいサービス》
という比喩になる。

つまり誰しも受け入れられる範囲の、“教養をもっているとする普通の人”が前提となっている。
これらの比喩、ちょっと研究してみる価値があるかも。

 

2004.10.21 【野球解説】

ライブドアになるのか、楽天になるのか、ダイエー、西武はどうなるのか。今後プロ野球はどうなっていくのか。はたまた僕の嫌う「巨人中心野球」が本当に崩れていってくれるのか。すでにスポーツニュースの中ではなく、トップニュースに掲げられるほど、プロ野球再編問題は皆注目している。

さて、ここにきて日本で野球は、やはり国民的スポーツだということが再認識されたが、そもそもそれのどこに魅力があるのだろうか。スポーツエンターテイメントとして、野球のどこに魅力があるのだろうか。

僕はその魅力のひとつに“解説を通して観る”ということがある。
僕にとって解説者は重要で、人情だけでもっている東北弁なまりの解説者は嫌いだし、やたらと比喩を出すが、的をえてない太った解説者も好きにはなれなれない。
優れた野球理論を持った解説者もいるが、中でもとても分かりやすく、説得力があるなと思うのは元阪神の掛布氏。現役時代も一流であったが、解説の分野でも一流であると思う。

印象深いものをひとつ上げると、
(以降松村邦洋氏のものまね風の声で)

「バッティングはいつも、同じようにできるかっていうとそうじゃないんですね。
むしろ同じ身体でもいつも変化していて、同じように保つ方が難しいんですよ。」

このことは、
《世の中の事物は、決して同じく留まってはいない、日々変化しているから、そこに調整が必要で、同じクオリティを出すためには、同じことをやっていてはいけない》
つまり「生々流転」。 もっと言えばマルクスの『弁証法的唯物論』的なもので、野球解説と言えども、それが、社会の営みの比喩であったり、哲学や経済学が野球ドキュメントと同時に伝わるから面白いのだ。

さてこれをアートの場で考えると、残念ながら分かりやすい言葉で語ってくれる方は少ない。
やたらとお偉い『哲学者』の評論家はいらっしゃるのに。。。。

 

2004.10.7 【個展を終えて/スーパーフラットvs・・・】

個展で色々な方とお話をすると、やはり村上隆氏の話になる。
特に80年代からビテチョー(美術手帖)を愛読しているタイプの人は、笑っちゃうほどこの方に否定的な意見が多い。

僕自身、村上氏の作品や考え方は否定はしていないが、やはり考え方としては対照的な位置にいて、よって僕の作品の評判もそういう方が理解を示してくれる。

要はイメージ(図柄)を重視するか、オブジェ(材料・支持体)を表出させるかであって、今で言うと、片一方が従来的な絵で、片一方が「もの派」っぽいものと考えられる。
村上氏の「スーパーフラット」 は、一見新しいようで、この従来型イメージをジェネレーション的味付けで装っている、いわば古典的な絵の様式と考えられる。

そういう意味で、まあどちらかというと“ちょっと”だけ「もの派」に近い僕は、村上氏「スーパーフラット」の、限りなく直接イメージを強調したものと対立している。

しかしながら、これまで現代美術が一般化しない要因として、この「もの派」に代表するような、内容の説明が難しかった、というか、説明不足になっていて(これは大いに反省する必要もあるのだが)、それにフラストレーションの溜まった前ビテチョー支持派は、これまでの崇高な高い山にあった芸術を、この簡単な手法によって平地までつき落とした元凶の、この「スーパーフラット」に我慢がならないのかもしれない。(笑)

「最近のビテチョーはさ、読む気しないね。年齢層も変わったし・・・・」
という感じで、
僕としては、ビテチョーはとっくに読まなくなっているが、よくも悪くも最近の美術界の村上氏の影響がとっても大きく感じる今回の個展であった。

 

2002.9.27 【「隅/角」展】

本日より個展が始まります。
僕が会場にいる時間をお知らせしておきます。
9/27(月)11:30〜12:00、17:00〜19:00
9/28(火)いません
9/29(水)(11:30〜12:00)、17:00〜19:00
9/30(木)(11:30〜12:00)、17:00〜19:00
10/1(金)14:00〜19:00
10/2(土)11:30〜17:00(終日)

 

2004.9.19 【展覧会直前】

展覧会をやる時、会期を目前に、毎回完全なプロセスを踏もうと心掛ける、すなわち会期直前になるべく慌てずに平静に制作を行おうとするが、なかなかそうはいかない。さすがに昔ほど徹夜するほどではないが、順序よくいかないものだ。順序よくやろうと努力するが、やっぱり最後は慌ててしまう。

人によってはとても計画的に進められる人もいるが、やはり慌てるて人はけっこう多い。
(例に出して悪いけど、松浦寿夫さんは特にそう思う。けっこうあたふたしている。)

僕の場合会期目前のモチベーションというか、ある超えた緊張感の中に、それまで積み上げてきたものを超える領域があり、そこに到達するのに会期目前でないと出てこない。
困ったものだが、そういう性質らしい。

ある時はつらいと思ったが、ちょうど桑田投手(最近は活躍が薄いが)が、ランナーを抱えて、0点に押さえる時こそ、多分彼の野球としてのエンターテイメントがあるように、むしろ順風満帆に進むよりも、その方がスリリングで面白いのかもしれない。

とはいっても、やってる本人は必死である。
結構身体にもくる。まして病気にもなりかねない。
でも、今回は、それを少し楽しめるようになった。

 

2004.9.3 【展覧会告知】

2004年9月27日〜10月2日 なびす画廊  亀田洋二展『隅/角』を行います。
以下プレス用コメント:

2000年のなびす画廊での展覧会[Bones]以来,[Bones]というタイトルで展覧会を行ってきました。今回も同じ流れですが、[Bones]という言葉を省き、「隅/角」というタイトルで行います。

[経緯]
1999年頃から「球体と球体を棒で結ぶような形態」が骨,特に大腿骨に酷似していたところから[bones]=「骨」と名付けました。それは具体的な何かの対象物として(例えば牛とか馬とかの骨というものではなく)、最小単位としてのモノ、漢数字「一」のような「ある構成の素(もと)」という捉え方でした。

当初象徴的に描くようにしていましたが、次第にそれを描こうとする以外のもの;
例えばその間の背景(的なもの)や、あるいは余白(的なもの)をどう見るか、あえて“描く対象”を『イメージ』というなら、むしろ『非イメージ』としての部分に興味がでてきました。

今回は,その部分を強調するために、描く対象(;骨)をできるだけ“隅っこ”(違う角度から見れば“角っこ”)に配置し、その『イメージ』の外側にある『非イメージの自立性』についての問題を考えています。
『隅/角』は一応“すみずみ”と呼びますが、読み方には特に主張はありません。

以上。

追記ながら、今回は我が大学・金沢美術工芸大学のOB一斉の展覧会ということで、少しお祭り騒ぎになるかもしれません。各マスコミもくるそうです。

案内状希望の方はメール下さい。

 

2004.8.26 【うそ】

折れたタ〜バコ〜の吸い殻で、あなたの嘘がばれるのよ〜
誰かいい人できたのね、でき〜〜た〜の〜〜ねえ〜〜

中条きよしの歌はいいとしても、世の中はほんとに嘘ばかり。
小泉内閣の年金改革の「嘘」。
三菱自動車の「まじめ・まじめ・まじめ」の嘘。
白骨温泉に始まる温泉の嘘。
法治国家はこんな頻繁する虚偽罪をほっといていいのか!

と言っても、嘘がないと面白くはない。
決して小泉首相や自民党代議士の公約違反を肯定する訳ではないが、“嘘も方便”というとおり、むしろ世の中にダウトがないとつまらない。
スポーツも世間もどこか騙し合いがあってこそ楽しい。
僕はよく分からないが、恋愛もそうらしい。

よって子供に「嘘をついてはいけない」と教えるのはよくない。
ちゃんと、よい嘘、悪い嘘、嘘の質、強弱、立体感を教えるのが本当だと思う。

ところで、ホームセンターで見つけた監視カメラのダミー。
まさに確信犯の「嘘」グッズだ。

 

2004.8.22 【打楽器、サッカー】

誰しもバケツを見ると叩きたくなる。
うるさいと言われるからしないが、本当は『ブリキの太鼓』のように叩いてみたい。
ドン、ドン、ドン、ザンバノ〜〜〜!
(それは違う映画)

もっと贅沢なことを言えば、沢山並べてドラムのように、
ドン、ドン、ドコドコドコ、ズッドン、ドコドコ
でもいい大人だから、なかなかそういうことはできない。

同じように缶があれば蹴りたい。
助走をつけてPKのように思いっきり、、、、
カッコ〜〜〜〜〜ン、コロコロコロ・・・
これも大人になったから滅多にできない。
でもたまに深夜、酔っぱらってやる時もある。

そんなふうに人間は“叩く”“蹴る”が最も初歩的な本能だと思う。
だから全世界どこに行っても打楽器があり、全世界で一番支持されているスポーツがサッカーなのだ。
以前ラーメンとギターが似ているという話をしたが、打楽器とサッカーもその本能的な面で似ている。

しかし日本人がいくら太鼓をボンボン叩いても、鼓(つづみ)を「よ〜〜おっ、ポン!」と叩いても、世界に向けたサッカーは、それほど期待しない方がいい。

なぜなら今回のオリンピックを見ても、この本能に、日本人よりもっと優れた民族がいっぱいいるからだ。

原始的で最も本能的なこのスポーツに、いくら日本人の器用さやテクノロジーをもってしても、無駄じゃないかと思ったりする。
だからアメリカはとうの昔に諦めているのに(なのに世界ランク9位)、日本は弱いくせに(世界ランクやっと23位)、一部の日本国民は相変わらずバカみたいに応援している。

実際、国際試合を応援しても、いっつも期待はずれ。観ていた90分返せ!と言いたくなる。

もう僕は日本のサッカーなんか観ないぞ!
日本人はおとなしく柔道か水泳か野球をやっていればいい。
このアテネではっきりしたじゃないか!

 

2004.8.9 【新宿2丁目】

新宿2丁目。
ここの小さな交差点は、ただの交差点ではない。
それはすさまじい同性同士の愛の光線が飛び交う電磁波地帯。
行きゆくその光線は、レーザー光線のようにまっすぐ延び、その交錯する蒼白い光の群が、欲望のオーラの網を描く。

昨日新宿2丁目に行って来た。
実はこの年にして始めてである。
ちょっとドキドキ。
でもこの“ドキドキ”って何?

予め言っておくと僕はいわゆる「ノンケ」である。
けれどももし何かのきっかけがあって、それに“目覚めたら”という不安感がいつもある。
ある意味その「一線」は“ひょん”なところに存在していて、そんな“ひょん”に出くわしらどうしよう、“ひょん”なところにいっちゃったらどうしよう。もしかしてその“ひょん”が今だったら・・・・・。
多分男性は皆こんな“ひょん”を恐れているのではないだろうか。

さて、そんな不安と期待(?)で、男たちが集まるクラブにへと足を運ぶ。
素敵な服を着た者や、マッチョな男たち。
小便がしたくなり、トイレに行けば、ブラックライトに照らされ青く光った男性便器。
後ろに待たれるナイスなガイたち。
いまだもってこんな妙な緊張感で用を足したことがあっただろうか。
この妙な浮遊感って・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

というわけで、何か久しぶりに価値観がシャッフルされた。
久しぶりな新鮮な気持ち。

で、今回“ひょん”なことがあったかって?
・・・
それは秘密だわ。

追記ながら、[KIDS]というお店のママさんの「ひとりユーミン」の映像は本当に笑った。
いや新宿2丁目はほんとに楽しいところ。

 


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