2005.5.22 【キッチンセット】

久しぶりの書込みである。
ここのところ新規の授業の立ち上げ(明記はしてないが僕は日頃大学、専門学校で教えることが業)や、引越でばたばたしている。
ばたばたしていることはいいことだ。多分活気があるということだ。

さてアイランドキッチンにしようかと思っていたが、多分“半島”くらいになりそうだ。
一応対面式。これでテレビを観ながらチャーハンが作れる。

久しぶりにキッチンの“カタログ荒らし”をしてみた。
昔オーディオの“カタログ荒らし”をよくしたものだが(TRIO、DIATONE、DENON、AKAI、NAKAMICHI、、、、、)
今度はキッチンの番だ。
TOTO、INAX 、リンナイ、クリナップ、トステム、、、、。
(そのうちINAX の知り合いに安く手に入らないか尋ねたが、面倒くさそうだったのでやめた。)
やはり大手はカタログが綺麗。(TOTO、INAXはさすが)
でも結局決めたのがナスステンレス!
どうだ!ステンレスだぞ!ステンレス!
ま、安かったからだけど。。。。

明日そのキッチンセットがつく。
今日は眠れないかも。

 

2005.4.24 【ホルスト/惑星】

何カ月に1度、やたらと聴きたくなる曲がある。
数年のブランクを空ける場合もあるが、時々必ず聴きたいもの。
10代に聴いたロックやソウル、ジャズもあるが、意外と
クラシックの分野にそれがある。

あげれば、
『ワーグナー/タンホイザー/ショルティ指揮』
『チャイコフスキー/1814年』
そして
『ホルスト/惑星』である。

この『ホルスト/惑星』、昨年平原綾香 がJupiter でかなりヒットしたが、確かにこの組曲で一番盛り上がるのはやはり「木星」。

先日銀座の山野楽器前で、
「チャーチャーチャー、チャチャ〜〜〜〜、ジャガジャン」
と最後の部分がかかっていて、
「さて何の曲だったか???」
とずっと考えていたが、思い出せない。
その時はきっとジョン・ウイリアムスの『スター・ウオーズ』だろうとしていた。

それが今日久しぶりに『惑星/木星』聴いて(NHK教育でもやっていて)、「木星」だったことがわかった。
なるほど、ジョン・ウイリアムスって“ホルストっぽい”っちゅうことね、と自分で納得。

さて『ホルスト/惑星』といえば、我々の世代ではシンセサイザー・冨田勲。
中学時代大流行したが、「展覧会の絵」とともに初期シンセサイザーの頂点。

さらに冨田勲と言えば、NHK番組「新日本紀行」。
最近再放送していてとても感動した。
だって白黒からカラーテレビに移る時の番組だったんだから。
キドカラーでみるととても綺麗。。

 

2005.3.28 【アイランド・キッチン】

何が何でもアイランド・キッチンだ。
そう決めた。

アイランドといえば、南国バカンス。
熱帯魚が見える水上ヴィラで、いっぱいトロピカルドリンクやら、ビールやら、ウイスキーソーダやら飲んで、オイルマッサージやら、泥パックやら、アカスリやら(?)、思いっきり南国ミュージック聴いて、食って、寝て、踊って、また飲んで、クルージングして、、、、また飲んで、、、食って、寝て。

そんなアイランドなキッチン!
絶対そうするぞ!
アイランド・キッチンにするぞ!

 

2005.3.8 【日記2】

ここはブログではないので、書いたことについての双方向型のメディアというより、従来メディア的な投げやり自己完結型、勿論インターネットである訳だから、それ(双方向型のメディア)が無理でないはずだが、(何かいいたければ掲示板にかいてくれればいいのだが)、どちらかというとひっそり、あまり大勢の人に目をふれず、できればあまり反発する意見も言って欲しくなく、少々消極的、慎ましやかなハイパーメディアな意見の場ということが、今日のホリエモンの話をきいて改めて自覚した。

それでも今日もブログのような書き方をしてみる。。。

相変わらず風邪をひいているが、ちょっと良くなったし、天気もいいので散歩しようと思った。
ちょっと家より遠いところに行こうと思って車を出した。
(この時点で散歩のカテゴリーを超えたかもしれない。でも着いた先で、また歩けば立派な散歩だ。今はこんな複合体が流行なのだ。)
ついた先は荒川の秋が瀬というところ。以前きいた話によると、このへんは江戸時代 は宿場町。銀座ほど栄えていて、確か樹齢何百年の檜かなにかが、あったような。。。いや定かではない。それは別のところだったかも。まあいい。今は整備されて公園になっている。去年までタマちゃんもいたところだ。おまけに近くに村上隆のファクトリーもある。余計にも。

穏やかな気温と風に包まれ、しばし気持ちよく読書をした。
実は読まなくてはいけない本があって(仕事上で)、できれば気持ちの良いところでしたかったのだ。
そうしてうたた寝するくらい気持ちよくなっていたところ、
急に、きこえてきたのだ。

ズズズン、ズコドンドン。。ズズズン、ズコドンドン。。

大きなドラムの音。
何だよ、こんな時間に。
ここは休日になると、スーラの「グランドジャットの日曜日」みたいに人がいっぱい集まり、ドラムの練習とか、ラッパの練習とかする連中が多くなるのだ。

うっせーな。。
「ちょっとあんた、こっちは読書してんだから、やめてくれる!」

と言いたかったが、あっちも家を追い出されてきてるんだろう。
立場はよく似ている。
狭い住宅事情じゃあ、仕方ない。 若いミュージシャンにも育って欲しい。

ま、そういう理由で、しょうがないので立ち去った。
風邪がふりかえさないように、早く帰れっちゅーことだな。
そう思って、春の装いを深める“秋が瀬”を背にしたのだった。
終わり。

 

2005.3.7 【風邪の日記】

風邪をひいてしまった。
熱はでてないのでインフルエンザではない。
10人に1人インフルエンザにかからない体質の人がいるときくが、僕はどうもそれに当てはまってるらしい。いまだインフルエンザと確認された憶えはない。
とはいうものの、久しぶりのひどい風邪。しかも歯痛と重なっている。鼻水がつまって口は半開き、歯の鈍痛で涙もとまらない。我ながら情けない顔。とても人にみせられたものではない。

いてもたってもいられず、先に歯医者にいった。
本気でペンチをもってきて歯を引っこ抜きたい気分だったが、診てもらったら患部は歯の方ではなくて歯茎の方。
既に抜いた歯の上の部分だった。なんで今更そんなところ痛くさせる理由があるの、と思ったが、悪くなってしまったからしょうがない。クスリをもらって、しばらく我慢。やっと今日になって落ち着いた。

とはいっても風邪自体が治ったわけでなく、鼻をかみすぎて頭は痛くなる(脱水症状?)し、咳はでてくるし、やっぱり風邪はしんどい。

ところで風邪をひくと、どこか感覚が新鮮なところもある。
クスリのせいもあるのかもしれないが、身体の浮遊感とか嗅覚とか、ちょっとした『ハイ』がある。
見る風景が変わったり、風を感じたり。。。。
あまり長くは感じてたくないが、この感覚は面白い。

 

2005.2.27 【ジャパネットたかた】

さて今の芸術の最先端はやはり『ジャパネットたかた』だ。
本日念願の商品が届いた。
先日偶然テレビでやっていたジャパネットたかたの商品に一目惚れしたからだ。
「一目惚れ」は時々あるけど、購入まで踏み切ったのは生まれて初めて。

その商品というのは、USBメモリーとMP3プレイヤー、それにFMラジオをドッキングさせた物。
商品名は「シーグランドデジタルオーディオプレイヤー」という。
こんなすばらしいものがあったのだ。
これまでも携帯電話にFMラジオがついたのがあって、それも迷っていたが、今回はデータの持ち歩きとラジオが一緒なのだ。それに録音もできるという。

僕はそもそもラジオっ子。
昔から「クロスオーバー・イレブン」とか、「軽音楽をあなたに」(ふる〜〜)でエアチェックばかりしてた。そこがいつも情報源なのだ。今はさすがにそういうことはしないが、それでも家にいる時はFMラジオつけっぱなし。車の中は勿論、電車の中でもFMレイディオは必ずもっていくくらいだ。だからいくらiPodが流行ってもFMレイディオがなければちっとも魅力がなかったのだ。

そこにきて今回のFMラジオつき。ホリエモンがニッポン放送株を買う気持ちがよくわかる。やっぱり時代が代わっても、ラジオとテレビは欠かせないのだ。

ところでこの商品、MP3プレイヤーとしては非力。とてもiPodには比べものにならない。たった128MBしかない。しかも全部使っちゃうと持ち運ぶUSBのデータがいれられない。256MBもあったが5割増しの値段には考えてしまうし。
でも逆にそれに入れられる曲を選別するのが楽しかった。

一番最初の曲は、ジャクソン・ブラウン「孤独なランナー」。
もう中学からずっと聴いているこのフェイバリット。自分ながら「またこれか」と思った。
フォレスト・ガンプになれる。

そして2曲目はボビー・ウーマック「Across 110th Streeet」。
この南の男の、フィリーソウルチックなところがたまらない。
タランティーノ「ジャッキー・ブラウン」な感じ。。

 

2005.2.6 【美学の“敵”】

郊外のディスカウント・ショップやホームセンターで、コンテナを持ち歩く亭主をよくみる。コンテナとは押入を整理したり、子供のおもちゃを入れておくためのものだ。
僕はこの光景をみて、いつも“合理性に支配された強迫観念”を感じる。
少なくとも美学とは反対方向にあるように思うのだが、それと同じことが、車でミニバンという世界にある。

さて「もういいよ」と思うくらい、相変わらず車業界ではミニバンが大流行。
結婚→家族→ミニバン
誰しもが、奥さんの強い要望からか、拘束される。
どこか利便性を考えるあまり、何か美学を忘れてはいないだろうか。
というよりも、 その“強迫観念に迫られた《弱さ》”に気づいていない者が多過ぎる。

車のフォルムは必ずしも普通のセダンやクーペが最善とは思わない。
しかし決して流麗とは思わないあの大きな四角いフォルムに、8人以上の大家族じゃしょうがないにしろ、家族4人がせいぜい月1回あるかないかのレクレーションのために、美学の犠牲と日頃多く乗る奥さんの駐車場での混乱に多大なデメリットがあることを気づいていないのだ。

車は女性と同じ“街を彩る”役目があって、存在自体が風景なのだ。
そこに四角いデブ車ばかりでは、あまりにも愛想がないではないか。

そして何より、そういった常に“強迫観念”に支配された窮屈な人生を送っている夫たちが、哀れに見えてしょうがないのだ。

 

2005.1.28 【いらないもの】

ここまでテクノロジーがあっても、人によって、いらないというものがある。
携帯電話をかたくなに持たない者、パソコンを持たない者。テレビすらいらないという者。それでもなんとかなるし、多少困る時もあるかもしれないが、生活はできる。

電子レンジだって使ってはいるが、なくても食事はできる。酒を熱くするときだってレンジがあればいいが、なければお湯にとっくりを入れて熱くする。あっちっち、なんて、、、今日は日本酒でいくか。。
いやいや、そういうふうに、あへて最新兵器を使わないでいることに意味があることがある。

テクノロジーは嫌いじゃないけど、さすがにすべてにつきあってはいられない。
特にテレビは丸いアンテナをつけてほど観ることはない。だって、いつもテレビばっかり観ててもしょうがないし、観たい映画があるんだったら借りてきて観ればいいわけだし、たまに野球が途中で終わって続きを観たい時もあるけど、ちょうど風呂にも入らなきゃならないし、ちょっとくらい観られない方がちょうどいい。
それに野球中継なんか時期にインターネットでライブドアかどこかがきっと解決してくれるし、当分ま〜るいアンテナは必要ないな。

カーナビだって必要ない。動物的勘が衰えるし、方位磁石があればすむことじゃない。
それに運転しながらモニターなんて観るのも危険だし、タダでさえ古い車だから、水温計を見るので手一杯だ。

でも大型プラズマテレビは欲しい。電気屋でみたら、大相撲の両国国技館の2階の歴代力士の写真まで見えるのね。
まあ相撲あんまり観ないけど。

 

2005.1.24 【玄人ごのみ】

ジャズ・ピアニストではマッコイ・タイナーが好きだ。
一般には華やかで都会的なビル・エバンスやキース・ジャレットが人気なのだろうが、僕はこのへんの人が好きだ。
理由はもちろん彼特有の演奏のダイナミズムや土っぽさとかの音楽的中身が魅力なのだが、それと同時に、どこか“玄人好み”っぽさがあるからだ。
さて、この“玄人好み”って、どんなものなんだろう。

一般にその《業界の内側にいる人》《同じ作り手の人》もしくは《プロの評論家》、あるいは《それ同等の事情を知っている者》による判断というところである。 特に玄人(プロ)なんてあるのかはっきりしない分野でも、それをよく知っている人の判断で“玄人好み”として多く使われる。
よって業界の内側でなくても、例えば石坂浩二なんて人はよく何でも知っているから、彼は普通の人より“玄人好みっぽい”ってことになる。

相反するところでの“素人好み”はあまり誉め言葉ではない。
ちょうどクラシック音楽で「あなた好きな作曲家は?」と問われて、答えが「モーツアルト」や「ショパン」であるとすると、“平凡”な趣味、もしくはその分野での“見識が浅い”と思われてしまう。だからその場合には、よく知らなくても“ラフマニノフ”と答えておいた方が“玄人好み”として格好いいのだ。
その意味で“玄人好み”には多少の見栄と虚栄が同居するのかもしれない。

さて自分はできれば“玄人好み”される作家になりたい。
「モーツアルト」や「ベートーベン」になるのは所詮無理そうだから。

 

2005.1.16 【タテジマのユニフォーム】

タテジマのユニフォームと言えば、阪神タイガース。
昔吉田監督の時代、
「タテジマのユニフォームを横ジマにするくらいの覚悟で・・・」
と言っていたが、なかなか当時の吉田阪神は勝つことができなかった。あのマギー司郎の“タテジマをヨコジマにする”マジックのように、簡単ではなかった。

その後に優勝に導いた(もう一昨年の話)星野仙一氏は、その“タテジマのユニフォーム”の重圧を乗り切ったらこそ、彼の価値が伝説的となった。このタテジマのユニフォームにはそんな重さがある。

そして同じように海を越えた松井の所属するヤンキースもタテジマ。
新しく入るランディ・ジョンソンら、移ってきた選手たちは前々世紀から続くこのチームの“ピンストライプ”のユニフォームに、ただならぬ思いがあるときく。 大リーグでもこのタテジマは特別だ。

ところが・・・
昨今の日本のプロ野球のユニフォームはどうだろう。
ヤクルトも広島も日本ハムもロッテも、みんなタテジマじゃないか!!
ヨコジマにしろとは言わないが、なぜ簡単にタテジマにしちゃうの?
タテジマは、“阪神タイガース”と“東海大相模”だけでいいのに。

日本のデザイナー(どこの誰がデザインしているかしらないが)は、単にデザインの真新しさだけで、タテジマにしてしまうのだ。きっと。。多分ものすごく簡単に、節操なく。
これはいかんことだ。

今期、巨人のビジターのユニフォームが巨人のYGマークひとつになったようだ。
大リーグの影響だそうだが(いつもまねっこばっかり)、それよりも本当はこの巨人こそ、“縦縞のユニフォーム”に変えるくらい改革が必要なのではなかろうか。

 

2005.1.6 【CDは土に還るのか】

聴き飽きたCDを中古CD屋さんに売りに行く。
正確には“聴き飽きた”のではなく、“嫌い”になった、あるいは“好みに合わなくなった”から手放すのであって、“飽きた”ならとっておいてブランクをあけてまた聴き出すはずだ。
仮に¥50で引き取ってくれたとしたら、そのCDは\50ほどの価値すらない、大嫌いといわないまでも、もう嫌われていることは確かであり、そのソフトは既にいらない“排泄物”と化している。

そういう中、ジャンク屋に山積みになった“katsumi”や“ジュン・スカイウオーカーズ”は、音楽という高度な知的産物でありながら、消化されたただの排泄物に見えてとても哀れだ。

さらに以前のレコードであれば、次第に物理的に摩耗していき、理論上やがては真っ平らになるが、CDの場合デジタルデータは永久に残る。原則上ほとんど新鮮な音のままで永久に聴ける。そこがこのデジタル排泄物のやっかいなところなのだ。

しかしどうだろう、だからといってデジタルデータも普遍であるのだろうか。
なぜなら地球上のあらゆるものは普遍性のものはなく、何もしないでいると、いつかは風化し土へと帰る。一端CDというメディアのデジタルデータは理論上永久ということになるが、きっとそうはならない。デジタルデータも、何らかの方法をとって、風になり土にもどろうとするはずである。

ここにあるデジタルデータもいつかは消えるはずであり、地球上の万物はそうであるはずだ。
でなければ、永久に風化されない“katsumi”や“ジュン・スカイウオーカーズ”があまりに可哀想だ。

 

2004.12.20 【資本論とラーメン】

一般に「B級グルメ」などという言い方は好きではないが、高級な数万円もするフランス料理を食べてもうまいのは当たり前で、それよりも一定価格の中でよりグレードの高いものを探す方が好きだ。

例えば日本酒の1万円もする「大吟醸」が旨いと評するより、せいぜい¥3000以内のより高い価値の酒を探す方が利益と考えるし、ラーメンだって¥600前後の一定の価格の中でその価値を競い合うのが本来だ。

僕だけではなく、誰もが高い金額でそれ相応の価値をみるより、自分の手の届く金額で、より高い品質ををもとめるのが自然なことで、 多分最近よくきく“ベスト・バリュー”という言葉は、こういう価値のことかもしれない。

ところで、このことを、もっとかみ砕いて言えば、
《価格に対するクオリティの、プラスの誤差》ということになる。
つまりその誤差が大きいほど人は喜ぶのだ。 さてその誤差とは一体何だろう。

一般的だと、それを“付加価値”と捉えることができる。しかし考えてみたら、わざわざ付け加えている訳ではない。
ここではむしろ“剰余価値”と考えるのが正しい。すなわち

《価格=品質(+剰余価値)》
品質に“あまり”を与えているという考え方。

つまりマルクスの資本論でいうところの労働における“剰余価値”の逆。
マルクスは資本家と労働者との関係において、この“剰余価値”を使い資本主義を解いたが、消費する際にも、この“剰余価値”があてはまる(かもしれない)。

これは冷静に考えると平等な取引の図式ではない。
正しくは価格に見合ったクオリティ。
《価格=品質=(材料費+場所代+人件費+もうけ)》
ということになるが、ここでは
《価格=品質(+剰余価値)》
式を書き換えると
《価格(-剰余価値)=品質》
となる。

つまりここでもラーメン屋というT労働者Uは犠牲を払わなければならないのだ。
そして我々“食い意地の張った消費者”はラーメンを食うことにより、資本家のごとくその剰余価値の積み重ねによって、至福の富を増やしていくのだ。

 


2004.12.8 【デッサンとラーメン】

以前ラーメンとギターは似ている(note10)と紹介したが、デッサンも似てないだろうか。
デッサンはその意味には幅があるものの、一般的には客観的に表現する能力。
正確に形をとるために、スポークなどのはかり棒を【図1】のように使う。

そしてその計り棒、ものの座標値を客観的に計ろうとする時、一次元化する。
すなわち一直線上に割合を求め、より分かりやすい形での表現は、つまり“ラーメン化”しているのだ。


【図1】正しい計り棒の使い方


ラーメンはその麺にスープを含み、麺の一直線上で味わい舌と喉で味を確かめようとする。
一方、ギターも弦という直線上で音階を求める。【図2】【図3】


 【図3】ギターの弦
【図2】ラーメンの麺(太・細・ちぢれ)

さらに同じ弦楽器バイオリンでは、単独に“G線”といわれる弦だけで奏でる曲音楽の父、J・S・バッハの名曲「G線上のアリア」は、最も分かりやすい“ラーメン”ではないだろうか。
いわば“ラーメン上のアリア”と言っていい。

 

2004.11.30 【ワウ】

スガ・シカオの曲には90%ワウが入っている。
ワウというのはギターのエフェクターのひとつで、ワウワウというのが、多分正式名称。衛星テレビがここからとったかは定かではないが、本当に「ワウ」ってな感じの音。
(口にチューブをくわえて「ワオワオ」っとやるやつもある)
さらにスガ・シカオ氏、同じエフェクトでもディストーションは合わないという。なぜなら声自体がディストーションにかぶってしまうかららしい。

考えてみたらそのディストーションの激しいハードロックやヘヴィメタルは、それ相応の決まった声の持ち主が多い。
ロバート・プラントやイアン・ギランなど、えてしてハードロックの人は声が高い。
僕も月並みに少年時代、ハードロックを聴いた(聴かされた)が、この声が高いのがあまり好きになれなかった。多分僕自身が歌いづらいかったからである。

それゆえ比較的歌いやすいソウルを好んだわけであるが、確かにソウルには、ディストーションが入っていることはめずらしい。そのかわり、このワウが入っているものがやたらと多い。
例えばテンプテーションズの“パパ・ウHズ・ア・ローリングストーン”

ボボン...............................................ボボッボ、ボボン...........................
ボボン...............................................ボボッボ、ボボン............................
ボボン(チョンワチャカチャカ、チョンワチャカチャカ)ボボッボ、ボボン(チョンワチャカチャカ、チョンワチャカチャカ)
ボボン(チョンワチャカチャカ、チョンワチャカチャカ)ボボッボ、ボボン(チョンワチャカチャカ、チョンワチャカチャカ)

かのノーマン・ウィットフィードプロデュース。
この(チョンワチャカチャカ、チョンワチャカチャカ)がまさしくワウの到達点だ。
この長いバージョンもあるが、いまだに周期的に聴く、僕の永遠のフェイバリット。
でもこういう曲もちだす人、おっさんって言われるんだろうな。。

 


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